土曜日 7:00
学校が始まってすぐに休みに入ってしまいましたから、もう新学年の新学期なのだとは実感が湧かない朝です。春休みの朝とほとんど同じ気持ちでカーテンを開けます。今日も、綺麗な晴れの日です。週明けには2年生初のテストが控えていますから、今日は勉強に時間を使う計画でいます。
12:00 三堂運動公園
教科ごとに順調に復習を進めていきます。午後に差し掛かろうかという頃、いくらか集中力を欠いてきたところで、息抜きに三堂運動公園を散歩することにしました。住まいにほど近い公園なので、いつも散歩に利用します。広々とした綺麗な公園でいつでもお散歩できるというのはとても素敵なことです。この季節は桜の木に公園が囲まれて、/見回せば、犬の散歩に来ている人が多いのですが、ジョギングする人やベンチで談笑する人も見受けられます。相変わらずの風景です。その一部になって散歩するのがお気に入りの日課でした。広場の外周をぐるりと散歩していると、大きなドーベルマンの散歩をしている男の子が見えました。春休みにここで出会ったいらはくんと、シシーとルーガでしょう。近くに新堂さんらしき男性が彼らを優しく見守っているのも見受けられます。大きいドーベルマン2匹に小さい男の子の組み合わせは大変目を引きますが、それだけではなく今日のいらはくんは、遠目でもよくわかるほどはっきりと、2匹にてきぱき指示を出し、シシーもルーガもそれにしっかり従っているので、より目を引きます。以前の印象との違いに思わず、おーいと声を掛けていました。「いらはくん」大きめの声で呼んでみますと、新堂さんが会釈をしてくれました。私も笑って返します。いらはくんはというと、聞こえてはいるようなのですが、こっちを睨みつけたまま動きません。歩み寄って改めて挨拶してみます。
「こんにちは。この前、いらはくんとシシーちゃんとルーガちゃんと遊んだんだけど、覚えてない？」
すると彼は、睨むような顔を少し和らげて、自らを指差しました。
そして、「いらはじゃない」と言いました。
ゆるめた表情には、呆れも見て取れます。
人違いだったのです。もしかしたらよく間違われるのかも知れません。
「ごめんね。この子たちはシシーとルーガであってる？」
「ああ」
私は新藤さんにも、すみません、と言います。いえいえ、と新堂さんが返します。いらはくんの兄弟なのでしょう。本当によく似ていますから、双子かもしれません。だとしたら、彼は、いきなり知らない人に話しかけられたことになります。出来るだけ誠実に自己紹介しなくては、嫌な気持ちにさせてしまったままかもしれません。
「私は、●●です。近所の学生で、3日前くらいにここで、いらはくんと知り合ったんだ。間違ってごめんね」
「いい」
そう言ってからその子は、意識のそれているシシーと、まったりし始めているルーガに指示を出し、お座りしなおさせました。
「僕は、暮誠一郎」
表情に歓迎が見て取れるわけではありませんが、彼も自己紹介をしてくれました。以前にいらはくんの言っていた、一緒に公園に来た「セイイチロウ」さんとは、彼のことだったのでしょう。
「よく懐いてるね。いらはくんは苦労してるみたいだったけど」
「僕の言うこと、一番聞くから」
「ドーベルマンだよね？」
彼はゆっくりと、余裕のあるしぐさで頷きます。そして手を腰にあてて、新藤さんへ、「シシーを見てろ」と言いました。新堂さんは穏やかに返事をします。シシーに、取ってこい遊びをさせるようで、おもちゃを手にしています。誠一郎くんは傍のベルーガに伏せをさせ、しゃがんでリードを持ち直しました。
「これは、ドーベルマンのヨーロピアン」
「ヨーロピアン？」
「ドーベルマンの種類だよ」
誠一郎くんはベルーガを撫でました。ドーベルマンのシャープで引き締まっていて大きくて、とにかく怖い印象と、きちんと上等な服を身につけた小さな子供の誠一郎くんの印象がちぐはぐで、そのちぐはぐさはとても様になっていて、子供服のブランドポスターから飛び出てきたみたいです。小柄な誠一郎くんの隣にいると、ドーベルマンが馬のようにすら見えます。大きく強そうな犬を臆せず2匹も伴っていたこともあり、いらはくんに比べ誠一郎くんには、只者じゃない印象を抱きます。
「本当に大きいね。普通のドーベルマンってこんなに大きいの？」
「他所の犬は知らない。ただ、ヨーロピアンは大きい種類」
誠一郎くんはそのまま、ドーベルマンの種類について教えてくれました。ドーベルマンにはアメリカンと、ヨーロピアンという種類があり、シシー、ルーガはヨーロピアンであること。アメリカンに比べてヨーロピアンは筋肉が大振りで、大きく成長する種であること。誠一郎くんの理路整然とした話ぶりに感心しながら聞き入っていると、シシーと新藤さんがこちらに戻ってきます。
「●さん、ドーベルマン怖くないですか？大丈夫？」
新堂さんが心配して声をかけてくれます。
「全然、平気です。誠一郎くんがきちんとしてくれますし」
そうですか、と言って、新堂さんが安心したように笑います。シシーが口をかぱーと開けて、私にはそれがシシーも笑っているように見えました。そしてシシーはルーガの横腹をつつくような仕草をし始めました。2匹の威圧感にも慣れてきました。よく見てみるとシシーの方はやんちゃで元気、ルーガは落ち着いていて、よく人と目を合わせる気がします。誠一郎くんがシシーに寄っていきます。彼が「吠えろ」と指示すると、シシーはワンワン！と2回吠えました。そして誠一郎くんの差し出した手に素早く擦り寄り、嬉しそうに撫でられています。ルーガは伏せながら上目遣いでシシーを見て、おとなしくしています。
「いつも散歩に来てるの？」
私が問うと、誠一郎くんは黙って頷きました。学校がある日はどうしているのかも尋ねると、終わってから散歩に来ているとのことでした。
「私、そこのアパートに住んでてさ」
公園から見える私の住まいの屋根を、誠一郎くんと新堂さんにわかるように指差します。
「よくこの公園に散歩に来るから、また会うかもね。いらはくんにもよろしく伝えておいてくれる？」
そう言うと、誠一郎くんは黙って頷きました。
「今日も、ありがとうございます」
新堂さんが言います。私はとんでもないです、と伝えて、2人と2匹に手を振ります。「じゃあね」
–
20:00 家
風呂を終えてゆっくりしていたところに、氷室くんから着信が入りました。「はい」
「こんばんはぁ」
氷室くんの優しく間延びした声が電話口から聞こえます。
「明日さ、もし暇だったら、花見行きません？国丸も来ます。予定あります？」
「大丈夫」
「花見ってほど大層じゃなくていいけど、パン屋さん行って河川敷で食べよ」
彼が言っている河川敷がどこかはすぐに思い当たりました。ここから駅の向こうへ歩いて行ったところに、桜並木の綺麗な河川敷があります。きっとそこのことでしょう。
「楽しそう。どこのパン屋？」「mugimugi(むぎむぎ)」
「ああ。フルーツサンド美味しいよね」
「僕の狙ってるやつだ」
「そしたら、10:00に三堂駅の改札のとこで。また一応、文字でも連絡入れときます」
「ありがとう。なんかいるものある？」
「おこづかい。と水分」
「ふふ、わかった」
「●くんて、いきなり誘っても平気なんですね」
誘っといてなんですけど、と氷室くんが付け加えます。
1予定なければ全然
2氷室くんだからだよ
1「じゃーなんでも誘いますね」
2「ひえー」
息を吸って吐いたような、声なような、返事なようなリアクションが聞こえます。
「簡単に口説かないでくださいよ……僕信じられないくらいチョロいんですから……」
1口説いてないよ
2面白いね氷室くん
2「あーあ、ちなみに休みの日は何してんの？」
罰の悪そうな、いじけた声で氷室くんが聞きます。
「今日はテスト勉強とかお散歩したりとか。近所の小学生と友達になったよ」
「へーえ」
感心したみたいな声で氷室くんが反応します。
「健康的で社交的だな。国丸に分けてあげてほしいです」
「なんで？」
「やつは健康的でも社交的でもないから」
「ふうん？」
「明日楽しみにしてますね」
「うん。じゃあおやすみ」
「うん。おやすみ」
2年生の始まったところだというのに、もう遊べる友達が出来ています。楽しい思い出ができそうで嬉しい限りです。