ブロキマナクでは何かを進めたいと望むまで、猶予が与えられます。目を閉じれば、個室に入れば、自室にいれば、母体にいれば、ハンコを捺せば、控室にいれば。「私に残された最後のフリースタイルを」と声なく唱えた場合、ラバランはいつも酒をあおります。投げやりに、要は自由運動ともいえる無法な仕草で、すべての活動の内で、頭の中だけが彼に残された最後のルールのない広いステージ。腕を上げることができる。のけぞることができる。なにもこらえなくていい。脚を伸ばしていい。それは時に大きな鏡の前で。音楽しか聞こえない不自由な耳で。それは時に黒い舞台の上で。3階席にいるはずの、さっき逢引したゲストに目くばせを送る技術で。目を閉じれば、スポットライトが複数のスポットを明るみにする熱い埃の散るいわくつきの輝きの中へ飛び込む怪しい背中の筋肉が見えます。それはおそらくもういない友人の鍛えられた姿です。自分の番の、前の番の演目を暗い舞台袖から、キャストのふくよかな衣装の間から眺めます。そのラバランは幼く、若い。騙されていそうなくらいに。つま先を立ててやめてを繰り返しながら、紫の光に照らされながら、準備をする友人と一言だけかわしながら、本番を待つ。リハーサルと違うことを一番自覚するのは飛び出した瞬間。舞台袖では感じられなかったゲストの圧力を心で受けとめます。これが日常だったこと、それを覚えていることを、ラバランはいかなるキャストにもゲストにも秘めて、いままできました。頭の中には、誰もいない。頭の中にだけは、ルールのない舞台があります。ルールのない。使い勝手のいい、出来のいい、ルールなんて、ラバランは思いついてすらいない。幸いルールを敷くほど力もなかった。ラバランは目を閉じました。残された最後のフリースタイルは頭の中に。指を広げます。私に残された最後のフリースタイルは頭の中に。幸いセリは酩酊に弱い。酒にすら。舞台にラバランの若さが、幼稚が、あったこと、もう誰も知らないでいてくれる。小部屋には今やラバランしかおらず、記憶のなかの友人たちはもはや認識の外に。そして目を開けた先には、いつもの階層には誰もいない。彼もいない。だからラバランはラバランの人生をボーナスタイムと呼ぶのです。もう誰も彼もいない。自分も。大丈夫。安心して。地獄は待っていてくれる、この誰もいないどこかで罪をコンプリートするまで。せいぜい整えていればいい。砂上の城を。納得いくまで。的があるなら、狙えばいい。いいことをしていても、わるいことをするまで、わるいことをしても、わるいことをしつくすまで、地獄は待っていてくれる。必ず、ごまんとあるすべての手をひろげて、歓迎してくれる。

20221123