本を読んでくれといって、ナリエはラバランの部屋に赴きました。本を抱えて、夜に、保護者の元に赴くというのは、一万堂という大きな親子ごっこの庭において、それはそれはうまい手でした。作法と言っても差し支えありません。ラバランはたいそう驚きました。本と一緒に、傘持ちもつけずに、自らの足で、たばこもしないで、尋ねてきたナリエの様子、そのすべてにとにかく驚いて、すぐにしゃがんで目線を合わせて、ナリエの心が健在か尋ねたほどです。ナリエはその顔に唾を吐いてやりそうになるのをこらえて、本を差し出しました。

「ああ、いけない。私としたことが。ケーキの準備もありません。」

ああいけないと言った割には、慌てる様子もありません。

おもてなしの家で子供を育てるものとして

ごっこ遊びの家 肌にじかにアクセサリーは

奇しくも私たち娼婦と同じことしてる

肌に直にアクセサリーはつけるものだよ

僕の飼ってる犬は、ばれてないかもしれない。僕はこどもだが、僕の思い込んでいるほど、僕は監視されていないかもしれない。

おい 僕の親なんだろ
だったら教えろ
僕が一番覚えが早い、いいこどもになってやる

今日は一万堂の池に

プレゼントです 子供たちに

餌木はナリエを一万堂につけました。アルチュールも一緒でした。ラバランに、2人をよろしくねと添えて、まかせました。ラバランは乾いたおかおでお任せくださいとだけ言いました。ナリエは交渉が上手でした。人を見るのが上手だったので、お客さんと駆け引きができました。ナリエはたった1人でキャストも、広告塔も、勤め上げ、瞬く間に50人の傘持ちを携えるに至りました。アルチュールはバーフロアの経営を任されました。自らの体では客を取りませんが、客をとる男の子たちのケアや教育を徹底しました。

「もう絶対に大人なんて、相手にしてやるものか」

つまるところ話はシンプルでもあります。社長であるあなたを越えかねない影響力を持つ人間が社内に出現してしまった、その結果、指揮系統が乱れ、挙句の果てに反乱まで発生してしまった。そういうことになります。異能を持つ人間を雇い、己の持たざる能力を補完するという「人を雇う」ことの最大の利点は、そのまま欠点でもあるのです

ナリエは意味の解らない独りぼっちの中にいました。ナリエには向き合ってこなかったものが多かったのですが、その結果かどうかは誰もわかりません。ナリエは泣きません。泣いたことがありません。ラバランはナリエに言いました。「貴方を子供以外だと思ったことは一度もありません」と。ナリエはもやもやとした、非言語的な、意味の解らないものが発生するたびに、外界ーー体内や心を内界とするなら外界と言っていい部分ーーに、傷をつけてきました。いつの間にかナリエは意味の解らない独りぼっちの中、もやもやとした非言語的な意味の解らないものだけで構成された世界の中にいました。いつの間にか現実を現実の形でとらえなくなっていました。餌木はナリエを助けました。

何で許してくれなかったのかと問いたいのかもしれません。理屈の上では明白です。裏切りを許すものは100回裏切られるから、裏切りで失うものが自分の大事な人たちを殺すかもしれないから、裏切りを許した組織は100回裏切りを許すから。「君が子供でなければ、君が大人なら、私は君の首をとったでしょう。私にはがきんちょはころせない」「何故そんな顔するんです。今更。自分が悪い子である自覚はありましたか」

「その子連れて出て行ってください
保護者さん
その子の居場所は用意します
私の夢に付き合わせたお詫びです」

一人ぼっちの子供がたくさんいる世界なのかもしれません。大人など足りていないのかもしれません。大人はずるいのでしょうか。子供はきよらかなのでしょうか。持たざるものには、罪がないのでしょうか。欲さないことを強いられて、褒美をもらうために欲さない子羊は、欲していないのでしょうか。

一万堂は栄光でした。あそこで働きたいと目を輝かせて語る子供たちは山ほどおりました。

起業の理由なんてなんでもいいのです。自分を殺してくれる子供を

ラバランはわがままをいうかしこい子供が好きでした。雇用主としても、保護者としても、ラバランとしても。かしこい子供は一万堂でも児童公園でも力を発揮しました。雇用主の弱みにつけこんで金を抜こうとする程度の知恵の働かない子供など、雇用主としては「使えない」、ラバランとしては「好みじゃない」。経営者として、保護者として、守るのみでした。

ラバランにとって梶木は必要不可欠な道具であり梶木にとってラバランは必要不可欠な土壌です。ラバランはこの世界に根付かせて拡大させる土台「営み」があり、梶木にはキャスト夢を見せて非合理的な努力をさせる「象徴性」がありました。お互いお互いが必要でした。ラバランはトチった従業員に共感的に振る舞いました。トチりを短時間で収束し協力する姿勢を示しました。梶木はトチった従業員に独善的に振る舞いました。トチりを再発させる余剰を無くし責任をとれと詰めました。

ラバランは一万堂に勤める子供たちについて、従業員としては「労働力を売りにきているタチの悪い取引先」くらいの意識でいます。経営の中で隠し扉的に自分を殺しうる特別な子供を探しているのです。

ナリエが重要なポジションを掌握し、交渉力が発生してしまう。「従業員が徒党を組んで全く同じ業種の別会社を立ち上げた」みたいな話
取引先もノウハウも顧客も全部ゴッソリ持って他社に移られたみたいな

他人がほどよく育てた果実をベストなタイミングで収穫することは気持ちのいい悪です。よく働く人材にコナをかけ、別の指針を示して傘下に落とす。ナリエにこれができないはずがありません。対立というのは常に起こした側が優位なのです。

「裏切る」人間には二種類います。「合理的に裏切る人間」と「まったく理解不能な人間」です。合理的な裏切りは背信の合理性を発生させない、ことで防ぐことができます。

コントロールを失った人材には、既に何の価値もありません。「失いたくない」と切望しても、ラバランがラバランの中にいてほしいと切望しても。実際のところは「既に失われている」と考えた方が妥当なのです。

儲かっている一万堂からキャストをまとめて引っこ抜いたら、すぐに儲けが出る組織が生まれます。キャストが一万堂にしがみついている理由をひとつずつもぎ取ればいいのです。
 

捨て犬男の首輪をひっつかんでハサミを入れた。首輪がなくなって髪の毛しかひっつかむところがなくなった捨て犬男が、泣かないので僕は驚く。捨て犬男は「どこにいくのですか」と繰り返す。首輪はいいのか?「僕には帰るところがないんでしょうか。」

クソガキ
ナリエさん何才なんですか
僕は高いところに立って、こどもを統べて、