当時はザインと触れ合うたび、ザインの、裂けているかのように自由の効く口角をちょっと上げて、「いれたい、いれたいなぁ、……」「だいじょうぶ、しないから……」上擦った声で囁くのを耳のほど近いすれすれで聞くたびに、ザインがザインの欲を調節しては、苦しそうにうめく度に、ウスルは目を深く閉じて、苦労して口をつぐみました。いいよ、と呟いて台無しにしないように、最新の注意を払ってことに及んでいました。咥えたくて仕方ないし、飲みたくて仕方ないのを、あらかじめ計画的に遮断していました。いざその場で断りきれない自分が現れないとも限らないとすら踏んで、必ずインナーを身につけて、自分から触ることもしないで、とにかく我慢に集中して、身を守っていました。ウスルは自身も、ザインも、ギャンブルと相性がそう悪くなく、滑り落ちる素質を大いに備えている、それを知っているのです。

ザインと関係がふつと切れて、何もできなくなってしまって、すがる気持ちすら混じえながら頼った親友に3度も念入りに断られ、残された人脈の残骸で肌を寄せるアテが、未知の援助交際相手だけなことに、ウスルは不都合を感じました。ただただ、ザインがいってしまって、親友がそっけなくて、ただただ、寂しいのをせめて、ひとりぼっちで布団を抱きしめる以外の方法で回復させたいだけです。友達のシャールは、ウスルに元気がなかろうが、ウスルがトゲトゲしい対応をしようが、お構いなしに毎日楽しそうにウスルのところに遊びにきます。「餌木さんとちょっとだけ話せましたよ」「餌木さんの傘持ち、感じが悪いですよね」彼の、聞いてもないことをダラダラ話し続けるところを、実は少しは、場合によっては、気に入っていました。傘持ちと戯れて床にしゃがんでいるシャールを、ウスルは椅子に座って、机に肘をついて、横目で眺めています。机にはお茶があります。シャールのためにウスルが煎れたのです。シャールはそれを、図々しくも勝手に台所から引っ張り出してきた小さな別のカップに少し分けて、傘持ちに近付けます。「どうぞ」わざとらしい高い声でそう言って、シャールは傘持ちの目線に合わせてだらしなく這いつくばります。そうしてシャールの傘持ちにお茶を差し出すと、そこそこの確率で内容物が消えます。カップを残したまま。目を離した途端、初めから無かったみたいに消えるのです。シャールは笑います。その笑い方の幼稚なことといったら馬鹿馬鹿しくて、つられてウスルもへらへらとしました。そしたら、シャールはウスルを、丁寧に見ました。「ウスルが、元気ないから、レクトくんが気にしてましたよ」ウスルは、笑った顔のまま頭に手をやって、うん、と言いました。シャールは残りのお茶も傘持ちに近づけました。それは消えなかったので、シャールはまた笑いました。

やがてシャールは一度自身の部屋に戻って、お気に入りのフィルムを抱えて再びウスルを訪ねてきました。シャールは今度はディスプレイの前を陣取ります。再生機器を滞りなく操作して、お気に入りのシーンを繰り返します。ウスルは後ろのソファにいて、クッションを抱えています。シャールの背中を見ています。毛布をかぶって床にしゃがみ込むシャールは、画面の光を受けて、ウスルからは黒い毛の塊に見えます。それとは別の毛の塊が部屋の方々でもぞもぞするのが、シャールの傘持ちです。ウスルが電気をつけようとしないので、シャールも電気をつけません。シャールはシーンを停止します。振り向きます。画面を見て、シーンを再生します。もう一度止めます。画面を指差してもう一度振り向きます。「見て。」

「出てるってわかる、ほら。持ち上がって、ピクピク動いてる。これを、この角度から見たいのに。表してあるフィルムが少なくて」シャールはぎゅっと握っていた毛布を解放して、無防備にぺちゃくちゃ喋っています。ウスルが聞いていると思い込んで。シャールはそれから、画面に向き直ってからは画面しか見ていません。また再生と停止を繰り返します。フィルムの中の性欲が、永遠に抽挿のクライマックスを演じます。ウスルは、その間にシャールに近付くことにしました。シャールの、白いシャツの背中に歩み寄ります。特徴的ななで肩のシルエットが呑気にじっとしています。しばらく、立ったままそばにいました。見下ろして。かたわらのウスルに気付いたシャールは間抜けに引きつった声を出して姿勢を変えました。ウスルの顔を見上げました。シャールにはウスルの見下ろすのが、今までない表情で、怒って見えたものですから、「なに?」「ごめん?」と言って、肩を震わせました。ウスルはしゃがみました。息を吸いました。シャールにもっと近づきました。首に鼻を近づけて、もう一度確かめるように匂いを嗅ぎました。「ちょっと?」シャールが言ったのが聞こえます。どうでもいいことです。ウスルはずっと、悲しいようなイライラするようなムラムラするような心地の中に取り残されたままでした。ザインのせいで、ラバランのせいで、レクトのせいで。シャールからは不思議な匂いがしました。薬品に似ていなくもありません。シャールの傘持ちも同じ匂いがすることを知っています。耳に唇を近付けているついでに、息を吸ったり吐いたりしました。弱々しい立場のシャールの、何もかもを誘発できると充分予測できたからです。心音や、ゾクゾクと這い上がる鳥肌の波の音を盗み聞きました。「おまえはしないの」停止した映像を指さしました。「くわしいみたいだけど」シャールの震える薄い唇を見ました。シャールはウスルの指を見て、動画を見ていません。吃った調子で、「したことありませんから」と、だらしなく囁きました。ウスルは静かに笑いました。笑えました。期待が聞いてとれて、何をすればいいのか手にとるようにわかるからです。再生機器の放置されているのを手にして、再生を促しました。ウスルはそれを横目で見ました。ふうんと言いました。シャールはうつむいたきりです。シャールの匂いは嫌いではありません。あまりに動揺して見えるので、したことないの、と聞くと、うつむいたまま頷きました。「できないんでしょう?君は」「なんで、舐めるだけだよ」汗、涙、唾液、血液、精液、ゆっくりと列挙していきます。シャールの耳に近付いて、肩に手をかけて、舌を伸ばしました。シャールは震えるだけです。期待するだけ。悲しいようなイライラするようなムラムラするような心地の中に取り残されたままでいると、邪悪な推進力が生まれます。ウスルには選択肢がもっと必要でした。シャールをノミネートする枠が生まれるくらいには。

すべて幻覚です。
ウスルは頭を抱えました。
だれもがどこにいってしまうの。

20211226