シャールは餌木を殺そうとしていました。戦いをさっさと終わらせようとするみたいでした。ビルから放り投げたりするのです。建設途中のビルで、登ってこれなくなっても負けるので、下に落とすような戦い方をすべきでした。勝ちたいのならです。餌木はそうはしません。シャールは、殺そうとしていました。餌木はそうはしません。餌木はシャールと距離をとって、滑り込むみたいにエレベーターに乗り込みました。ずるいと怒るシャールの声を聞きながら、こんなもの使って、ひとときでも体を休めてしまったらもう二度と動けないかもしれないと思いました。上階でシャールと鉢合わせました。シャールは初めからまず餌木の腕を折るつもりで掴みかかりましたし、その動きのまま餌木の腕の自由を奪いました。シャールは餌木をまた放り投げました。早く終わらせたいみたいに。餌木は悲しくなりました。打ち付けた体は意思とは関係なくまた動きました。餌木はシャールを殺そうとはしていませんでした。殺そうとすることが正しいことだとするならば、2人のいるここはもう、この世界の終盤だったのでしょう。餌木はシャールを仰ぎ見て、一階にしかないエレベーターまで、また歩き出しました。シャールは餌木に怒鳴りました。2人は離れたり近付いたりを殺すために繰り返しました。健全だったシャールの腕はいよいよ壊れていました。同じように健全であった餌木の腕も壊れていました。餌木は同階で対面したシャールに角を、頭を固定されテコの原理でぶちぶちへし折られました。体をまっすぐ保つ仕組みが馬鹿になってしまい、胃の中のものをほとんど吐きました。真っ直ぐ進めない世界の中でも、餌木は四つん這いでシャールを追い詰めました。四つん這いになってからは、腕が折れてるようには見えませんでした。餌木はシャールを殺そうをしていませんでした。とはいえシャールは右腕が肩ごとごっそりありません。内臓が露出していて、餌木が組み敷いていました。右肩を食いちぎったら餌木は一度動きをやめました。シャールの脇腹はもうとっくにちぎれていて、餌木の顎はもう直ぐ使えなくなりそうでした。「建設途中の建物」として建設されたこの場には、もう客席とステージという概念もありません。客席だった二階にも、2人の血痕が連なります。もう綺麗には二度とならないのに。餌木がシャールの腕関節を食いちぎる様を見たものは誰もいません。シャールは初めから餌木を殺そうとしていましたが、それが何故か何のためかも忘れてしまうくらい本気になっていました。夢中になっていました。とにかく殺すつもりでいました。餌木はこんなシャールを見たことがありませんでしたが、この世界が終われば、その先の未来でこんなシャールをもっと沢山見ることになるのでしょう。餌木は切なくなりました。シャールが愛しい気持ちはいつまでも変わりません。まだ今の餌木には、獣の形相のシャールが新鮮に映りました。獣のように喰らいつく自分の意識だって、初めてでした。餌木はシャールを殺したくないのではなくて、シャールに忘れられてしまうのが嫌なのです。もう、シャールの記憶を食いちぎって仕舞えばおしまいになるころ、話すのが困難な筈の餌木の顎が、「シャールくんに忘れられるのやだ」と、言いました。シャールに最後に伝えるために、たたかいを中断させるための丁寧さを以って。シャールは動きをやめました。動きをやめてもボトボト落ちるものは落ちました。脳内物質の引いていく、熱い頭で「ぼくだってやだ」と言いました。そして泣きました。汁気が多いので、涙は不可視のまま。泣いていると、ぐちゃぐちゃの傷口がやっと痛んできて、建設現場もどきはもはや修繕不可能で、餌木の顎は壊れ、血塗れで、シャールの腕はぶら下がるのみで、ふたりぼっちでした。こんな悲しいことはありません。シャールが、じゃあ僕が記憶を守るから、餌木さんは僕に殺されてくださいよと言って、不自由な体で餌木にもたれかかるみたいに抱きしめました。餌木はシャールに感情を見せたのは初めてだったかもしれません。けれどシャールは驚きません。餌木のことを昔から知ってるみたいでした。餌木さんの記憶守るから、と言いました。「こんなに大事な事、なんでこんなに土壇場で決めなきゃいけないんですか」調べて、考えて、決めるべきだったよ。シャールは餌木に言いました。その時餌木は気付きました。天啓みたいに、だからここまでシャールを連れてきたのだと解りました。調べてられて、考えられては、困るから。ここでシャールが下した決断から、観覧車までを繋ぎたいのだから。シャールは泣いて餌木をぎゅっとしたままです。「僕が記憶を守るから、餌木さんは僕に殺されてくださいよ」餌木は頭の中でその言葉を、どこまでも広義に広げて、広げました。どこまで回収できるか、考えました。