ブロキマナクで「こどもは成長する」という際は大きくなったり賢くなったりするという意味ではありません。昨シーズンにうさぎさんコイン1枚で取引されたこどもが、今シーズンはうさぎさんコイン60枚で取引されるという意味です。こどもをご存知ですか?あなたがブロキマナクに至ってなにか名誉なことを誇示したいなら、こどもを選ばれるかこどもに選ばれることがおすすめです。一万堂のこどもを所有したことがある、その経験を褒めて欲しそうに話すゲストの、ひいてはキャストの多いこと。
何か改革をしたいならまずは意識からと言います。こどもはある日生まれて突然浸透した概念です。こどももおとなも元はなかったものなのですから。こどもというのが提唱されたはじめ、こどもは大変大事に扱われました。いいえ、はい、もちろん、今もそうですが、当時のその直前と比べて妙に、急速に……。さぞ大事なものを守っているんだろうと思わせる仰々しいラッピングをされて、お付きの者二人の真ん中で、手を繋がれて守られる、特に小さな型番のキャスト、きっとそれが初めて観測されたこどもの扱いでしょう。
 一万堂は今でこそ開いていますが当初は要塞みたいに閉じていたものです。その名残でお堀があるのですから。お堀は谷でできていて、谷の分だけ一万堂は地下に突き刺さったような構造を許されています。お堀の谷底で白くぽんぽんと点在しているシャヌジトレーは、谷に設置された洗礼を受けずに済みます。軽いから。あなたの型番がシャヌジトレーより重いならば、そこに降り立ってはいけません。大変乱暴な方法で型番を失うことになるでしょう。ある日そんな閉じた一万堂が開きました。一万堂の一部とされた「外界前」なる庭の中、後にこどもと呼ばれる小さな彼らが放流されました。奪おうとすれば奪える場所に、鍵のない門の向こうにこどもはありました。そのこどもたちは度々外界に誘われて、外界に奪われました。それが何度も起こりました。それを止めたり追いかけたりする者はありませんでした。そのこどもたちはなかなか高い水準のことばづかいができました。特殊な訓練を施され、高い水準のゲストを何人もいい肉にしたのだと誘拐先で演説をしました。こどもはすぐに誘拐先でも丁重に扱われるようになりました。小さな主役。小さな目玉商品。悪さをしたのは彼ら花泥棒だけではありません。彼らの隣人は、誘拐の労力よりも価値のある何かとこどもを交換してこどもを伝播していくのでした。
 花泥棒。あなたがブロキマナクに来て名誉なことをなにか誇示したいならこどもがおすすめです。一万堂のこどもと遊んだことがあるその経験を褒めて欲しそうに話すゲストの、ひいてはキャストの多いこと。多いこと。誉めてほしいとき、たいていはみなさん尾鰭をつけた上で尾鰭を誇示して話すもの。一万堂のこどもの評判はゲスト以外には新しいことなんて何もないブロキマナクに楽しい変化を添えました。ゲスト以外に楽しいことなんてなかなかなかったのにね。いよいよ、有力なキャストがこどもを複数台所有し、見せびらかし、ほしいと願われても手放さないことも起きました。それを見る羨望のまなざし、ため息。こどもはこどものプリミティブな価値なんてものでない高い価値を持つようになったのです。

”こどもは、他のキャストにはない鮮烈な愛らしさあふれる体躯と鮮やかな色味をもち、着飾ることに無類の自由な発想を持つ。”

 何よりも、ブロキマナクには最後にこどもを欲しがる最も富んだものがいましたから、この狂った渦は成立しました。「どんなこどももプリンシパルが最後に買い付ける」「例外はない」もはやそう言ってこどもは取引されました。こどもがそのプリンシパルに引き取られる最後の価格を「身代金」といいます。それをそのプリンシパルは払います。彼のプリンシパルとしての価値で、逢瀬で、彼の肉の加工品で、一万堂での特別な体験で、中央への口利きで、うさぎさんコインで……とにかくこどもの最後の親に払うのです。親とはこどもの権利書を持つもののこと。カジノの用語から来ているの?幾ら通貨だと言ったって、うさぎさんコインは多能なだけ。万能ではありません。プリンシパルは万能です。ブロキマナクそのものの価値ですもの。プリンシパルの舞台ならプリンシパルの奉仕ならプリンシパルとの食事なら、膨れ上がった異常な最後の身代金を回収できるのです。プリンシパルに確実に辿り着きたい?ならこどもを育てればいい。唯一の、段階を踏めば必ず手に入るプリンシパルこそ、こどもを買う彼、ラバランです。だからこどもは瞬く間にゆるぎない価値になりました。もはやそれの価値を誰も疑いません。だから証明しなくても良くなりました。

 もう誰も覚えていませんが、一万堂以外でならこどもとセックスできた、そんな頃が本当にあったのです。

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