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その昔、型番がザグリーのケースとしてよく保たれますように、と行われた管理一式を職人を代表するプリンシパル「聖」がたったひとりでやってのけていたころ、聖は度々、自らこそが機能しなくなりました。型番の終わりを死と表現する方々にはわかりやすく、「死んだ」のだと言葉にしておきましょう。その死の度に、レクトというキャストが聖をもう一度構築する手伝いをしておりました。そのお仕事はレクトが舞台に上がるよりもずっと前からあるひとつの演目でしたから、レクトははじめ、聖の停止に疑問すら持ちませんでした。聖は自らが止まった後の為に、次の型番をたくさんたくさん用意していました。準備が歴史を持っていたので「当たり前のこと」になっていましたし、「厳かで面倒なことに意味がある儀式的なこと」にもなっていました。誰もが「聖は死ぬもの」だと理解していて、問題も起きていませんでした。仕事の一つにすぎませんでしたから。ある日レクトは、友達の言葉がきっかけで聖を心配するようになりました。「とても急激なしわの寄ったような、一か所だけ途方もなく色の濃いようなことがらだから、いつか災いを誘発するだろう」当時は聖しか聖の仕事をできませんでした。一時は聖にブロキマナクのキャストの器の質は担保されていたのです。聖はそれでもキャストの器を増やしました。ついつい、色とりどりにしました。誇らしげでした。楽しそうでした。死にそうでした。湧き上がる意欲をとどめたりしませんでした。聖は職人なのです。レクトはその頃やっと理解したところでした。聖はみんなの筋道を引いて、枠組みを決める人たちと同じくらい偉い。けれど、筋道を引いて、枠組みを決めることができない。我慢もできない。手元の先を見ている。それまでレクトは、聖を、“ブロキマナクの行く方向を決めて、ブロキマナクの形を考えて、持続的に営みを続ける為に頭を使う”役割を全うしているのだと理解していましたが、違うのです。聖はただ個人的な異能や欲望がブロキマナクに奇跡的に寸分の隙なく合致しているから、主要なキャストなだけです。個人的なわがままのすべてがぴったりこの世のためになるというだけです。ブロキマナクを船とするなら、聖は自然増殖する船の土壌そのものなのであって、船長とかの、乗組員ではないのです。“ブロキマナクの行く方向を決めて、ブロキマナクの形を考えて、持続的に営み続ける為に頭を使う”のは餌木やグレブであり、聖が彼等の意向をタイムラグなしでブロキマナクに反映する、ここまでをセットにして餌木とグレブは“経営”だと言っていただけです。これはレクトがそれを初めて理解した頃のお話です。


 レクトは聖の助手をしていましたが、それはレクトがグレブの秘書だからです。聖はグレブに属しているのです。レクトはグレブの指先の代わりになって、他のキャストのお手伝いも広くしていました。グレブが縮小してグレブの仕事が減った分の余剰をお裾分けしていたのですね。聖はそんなレクトを労り、ねぎらいました。レクトも聖を労り、ねぎらおうとしました。レクトは聖がわかりませんでした。ただ聖には、聖には友情を感じていて、早々にぶっ壊れるほど急いで型番を使いつぶすようなことをしてほしくなかったのです。聖にはそれが伝わりません。うわつらを撫でるように、友達の言葉で聖の今が変らしいと気付いて、気づいたら、変なところはちゃんとしたくてむずむずするものですから、もはやレクトは自らの持つ「お仕事」を超えた個人的なわがままとして、聖をなんとかしたくなっていました。レクトは駄々みたいにお願いをこねました。だって、僕だって1シーズンに1クール、丸々おやすみいただきますよ、と。そんなのでは聖は顔色を変えません。聖は製作中のキャストのおへそを見たままで、手を動かしたままで、いいんだよ、レクトは。と言いました。レクトがいないと僕は、作れなくなる。そのままいてくれ。と聖は言います。さまざまな説得が無駄でした。レクトの器は、あらかじめできることを少なく設定されています。ポーツという型番の特徴なのです。制限された機構だからこそ、迷わずに誰よりも多くの雑務をこなすことができるのがポーツという型番でありレクトなのでした。その制限の一種として、レクトの声は他キャストの思考に一定以上の影響を与えないようになっているのかもしれません。説得や演説向きではなさそうです。レクトはこの切り口では駄目だと悟りました。さて力なきレクトからこの聞かん坊な世界に働きかけることができるとすれば、それは言葉や手振りでする鼓舞なんかを使ういわゆるどんでん返しではないでしょう。黴が少しずつ内側を作り変えていくような、地道なものに違いありません。レクトは幸いそういうものの方が好きでした。毎日毎日少しずつでも手を動かしていって、時々振り向いて、昨日よりは進んだらしいことを眺めてみる(異世界の子供向けの本にそういう記述があります)。そういうのがいいのです。せめて、聖の助手たる自分がふたりになったらいいのに。ふたりではなくても、ふたり分にはできないでしょうか?できなくはなさそうでした。レクトはレクトの及ぼせる影響を少しずつだけ毎日大きくして、試しに、内緒で、個人的な趣味として、聖とか、世界を変えてみようと企んでいます。


 まずレクトは聖のアシスタントをしながら、その仕事内容を書きつけて記録しました。そんなことしなくてももう全部体が覚えていますし、新しい指示もすぐに覚えますし、だからこそレクトはみんなにとって便利なのですが、あえて書付ました。聖は不思議にも思わずに、キャストのケアとか、器の過剰を省いたりをいつも通り進めます。レクトはアシスタントをするたびに小さなメモを増やしました。勝手に仕事場にべたべた貼っていきました。聖が何にどんな反応を示したかまでなるべく克明に。そしてメモの期限がくる前に、仕事場のメモを全部回収して持ち帰りました。夜中、ひとりになると、メモの断片を“製作”とか、“検診”とか、聖のお仕事の種類ごとに透明な板みたいな袋の中に放り込んで分けました。そして板の中のメモを、仕事の始まりを手前に、終わりを後ろに並び替えました。そしてそれを新しい紙に印字して書面にしました。それを次の日、餌木が起きて活動しはじめたと分かったらすぐに餌木のところに持っていって、消えないようにハンコをもらいました。そんなふうに定期的に新しくまとめ直した書面を作っては餌木にハンコをもらいにいきました。餌木は眠い目をハンカチで清楚に押さえながら不思議そうにしていましたが、きちんとハンコをくれました。正確にはシャールに、レクトの持ってくる書類に判を押す許可をくれました。シャールは餌木と違って急かせばすぐに、割り込んでもハンコを押させることができる相手なので、レクトはこの個人的な運動にシャールの性能の悪さを最大限利用しました。やる気がなさそうな先輩の手にハンコを持たせて手元に書類を差し込んでポンポンさせるくらいはやりました。良くないことなのは承知の上ですが、個人的な欲に基づいた個人的な趣味活動なので「ケツは僕が持つんで。ほら餌木さんも証人ですから」くらいはすらすらとそそのかしました。「餌木さん、レクト君がダークサイドに落ちた」餌木はにっこりするだけで何も言いません。こうしてみるとシャールみたいな「やる気ない権限保持者」みたいな人も時には必要なのかもしれません。聖の業務の流れ、内容、用語、聖の思考、主なトラブルの解決方法をまとめきって、それをいくつか複製した後また餌木に断ってシャールにハンコを押させました。個人的な趣味活動へ協力いただいたので、心から餌木に礼を言いました。シャールには言いませんでした。

190929


 ある日、レクトは聖に個人的な指示をしました。「助手として運用してもいいキャストを指定してみてください」レクトはそれが岸理透かウスルになるとわかっていました。聖がいつか、聖の仕事の一部とその権限を移譲するとしたら誰?という例え話をしたことがあったからです。聖の見立てでは、聖の見ているものと近いものを見ている、そして見ようとする意欲が高いのが岸理透で、聖以上にキャストのお身体のメンテナンス適正があるのがウスルです。言質に近いものが取れたので、レクトは岸理透とウスルの現在の業務内容を確認して、客付けを変更しました。二人とも直接は客を取らないので、間接業務が少なくなるように他のキャストの客付けを整理しました。

 そこまでして、やっとレクトはグレブの部屋に赴きました。グレブに申し出をしました。聖の異能を今なら、まさしく聖しかできないことと、聖でない天才にできることとに分割できるかもしれない、それにぴったりなキャストも見当がついていて、奇しくも来期から彼等は暇になるっぽいんです、と。全部事後報告です。グレブは笑いました。「れっくんは建前を使うのが、ぼくの想定より上手かもしれない。」「聖より先に僕に報告したのもいい手ですね」グレブは嬉しそうでした。レクトの見立てでは、権限移譲に際したこまごまは聖の仕事ではありません。聖の体調管理ですら、本質的には聖の仕事ではないのです。“天才聖のしなくていい仕事はまだあるよ”。レクトは真っ直ぐな目でグレブを見ました。グレブはその通りだと言いました。聖は自分の持分に対しては絶対的な専門性と自信を持っていますが、持分から一歩でも外れれば赤子より無力です。知識も興味も一切ありません。聖はブロキマナクの中核をになうプレイヤーに間違いありませんが、あくまで職人であり経営者でも管理者でもないのです。たとえ聖がそれを認めなくても。レクトは結果的に聖の業務の分割と権限の移譲を勝ち取りました。グレブは、レクトの「趣味活動」を高く評価しました。これを期に普段しないお勉強をしましょう、と言って、改めて、レクトのやったことを客観的に説明しました。非常に俯瞰的な見方で進められるその話は、レクトにとっては、初めてするゲームのルール説明のように聞こえました。グレブが駒を動かしながら説明をしているのではと錯覚した程です。レクトは、グレブから見たらキャストという「資源」の一部です。グレブはキャストに、あらかじめ割り振った以上の仕事を望みません。仕事上の自主的な発展も勉強も望みません。みんなに、ブロキマナクが変わらないことを担保するから、みんなは、ブロキマナクにいてねというだけです。「それでも持続発展する仕組みを作るのが僕とか、餌木ちゃんです」基本的にキャストには仕事において自主性を強いていないのです。いわばレクトなんかは、何も考えずに与えられる仕事を回せばそれで充分人生と文化を保証されますし、与えられる仕事にはある程度の定型があります。ですが今回レクトのした「聖の仕事を分配する」こと、これを正確に解体すると、「聖のより良い運用」を目指して「聖の仕事の分配」することに“自主性を発揮する”。これはレクトに課せられた働きを結果的に優に超えました。例えそれが個人的な欲由来の働きであっても、いや、個人的な欲由来だからこそこの働きは“経営”する頭の基礎になるとグレブは言いました。「これが、聖個人を助けるためじゃなくて、「ブロキマナクの継続発展」のために「聖のより良い運用」を目指し、「聖の仕事の分配」することに“自主性を発揮”する、になると、僕たちのしていることと寸分もたがいません」「上に立つキャストだけはね、自分よりも、友達よりも、世界が大事じゃなくちゃダメなんだ」ブロキマナクは、レクトには特に自主性を持つ余地を与えていません。ポーツという型番で以て意図的に自主性を取り上げているのです。レクトはそれを知っていました。意地悪な先輩がレクトに、それをこっそりバラしているからです。だからこそ君がしたことはすばらしい、と言って、グレブはレクトに屈むように告げて、大きな椅子に座ったまま手を伸ばし、撫でました。「れっくんの成長を見るのはとても楽しい」グレブはニコニコしていました。レクトが個人的にしたことで、グレブが個人的に喜んでいるのが想像以上に誇らしかったので、レクトは“個人的な自主性”とやらは、かなり大きな力なのだろう、と記憶しました。レクトがなでなでを受け目を閉じている間に、グレブはなでなでをしていた手をふと伸ばして、その手をレクトじゃないところ、レクトの後ろに差し出し、レクトがドアを見る間も与えずにドアの鍵をかけました。その間にだんだん、グレブの嬉しそうな顔にはさっきまでなかったまぜものがなされていました。また別次元の嬉しいが混ざっていくように見えました。何か企んでいるように見えました。そう見せているようにも見えました。レクトはグレブを少し睨みました。グレブは手を下ろして間髪入れず、新しい話をはじめました。鍵をかけた理由はすぐにわかりました。新しい話は聖の成り立ちに触れるものでした。グレブがこの世界の外にいた頃、グレブという名前じゃなかった頃、作った入れ物を世界と呼ぶことにして入れ物を創造しようとしていた頃、初めて創造が成功した世界につけた名が「ひじり」であり、聖はその世界そのものが、体を得た姿なのだと言います。レクトは強張りました。現時点で知っていい話ではないからです。これを知る前に勉強しなくてはいけないことがまだあるからです。その器じゃないということです。器に余るものを宿すと器は壊れます。材質にもよりますが……。「聖にとってこの世界は自らの体みたいなものだから聖はこの世界を客観的に見ることができない。客観的に見ることができないから精度の高い決断もできない。だから彼はレベルの高い管理をこの世界に施すことできない……」レクトはグレブの話を遮りました。何故そこまで話しだしたのかを急いで問いました。返答によってはそれ以上が聞かないで、部屋を出る算段で。グレブは笑いました。対象に安心感を与えたいなら、あまりすべきではない笑い方でした。「この調子だと君はいつか、判断することだけを仕事に、生きることになるかもしれないから」レクトは面食らいました。想像ができません。判断をせず、判断材料を正確に集めることと判断以外の事をかき集めてさばくことが普段の仕事だからです。グレブが、かざした手でここに鍵をかけてから、目に見えないものが託されかけている感じがしました。「僕には早い。あなたは今はこの話をやめるべきです。僕はあなたの“正しい”ですから、僕の判断を信じてください」レクトはその時初めて、入るためではなくて出るために鍵にレクト専用の力を使いました。

190929


ウスルは餌木の人材配置に応じ、「医学管理」を担うことになりました。キャストの身体のメンテナンスが主な業務です。適切な仕事が割り振られたものだと、餌木の采配にはそれなりに感心したものです。ウスルは無駄なものがあまり好きではありません。恐らく餌木もそうでしょう。ウスルは意欲的ではないものの、なるべくしてなる役割なら、引き受けても構わないというスタンスでいました。ウスルは無駄なものが好きでないとともに、不足も好きではありません。なるべくぴったり物事が収まっているならば、それが1番です。キャストの役割もそうです。聖がメンテナンス時期に忙殺される事はレクトやシャールから耳にしていました。ウスルには知識がありました。型番に対する興味もありました。なにより能力的な適性がありました。その為の「手」だというくらいに。ウスルにとってはそれなりですが、餌木にとって持てるカードが無駄になるのはきっと気持ちのいいことではありません。今日はいよいよ医学管理の初日です。ウスルはあらかじめ、キャストの医学管理のいままでの勝手などを書面で教えてもらっています。面識のないキャストがほとんどですが、もらったキャストのリストも読み込んできました。今回の医学管理は聖とウスルが分担で進めるということで、聖には岸理が、ウスルにはレクトがアシスタントとしてつくことになっています。ほぼ、何の暇もなく仕事は始まるのですが、それで良かったのかもしれません。準備期間なんてものがあっては、頭が良くない方向によく回りすぎて、きっと眠れぬ夜を繰り返したでしょうから。