誰かが特別間違っていたりはしないただ誰も正解しているわけでもない
それが嫌で人生をやめたのにいまさら助けてなんて言えないだろう?
たおやかなものや清らかなもののバランスを私のささやかな吐息で崩せるとしたら、
生きる意味に成り得ると思わないか?
生涯傷付かない生き方が存在するとしたらどんな代償を払おうが手を伸ばす輩はこの世の迷える子羊の内何%を占めるのだろう?
正義は揺らぐが悪は揺るがないから法が禁止形で綴られる
「してはいけない」を犯して悪に堕ちる方がよっぽど早く正確に完全体になれると考えたことはないか?
誰もが「正義だ」と言う存在と誰もが「悪だ」と言う存在、どちらかが存在可能でどちらが不可能だとしたら?
自分がいなくなった途端世界が平和になるような生き方をすれば世界が世界の形をしたまま私の為に私を殺しに来てくれる気がしないか?
総てを叶えている時でさえ総てを手に入れていると言えないのは何故?
130522