僕も食わないような、言葉も持たないような、顔もないような、意思もないような人型に、ラバランは血を与えている。僕のと違う、青い血を。ラバランの右手首に穿たれた乱暴な穴に、妖精は直に食らいついている。吸い付いて、喉を鳴らして、恐らく生暖かい液体を嚥下する。ラバランの手首にはあまりに多い妖精の唾液が雫になって伝う。みずみずしいかった。僕には花とか妖精みたいな下級人型の顔を識別できない。全て同じ顔に見える。彼らは皆一様に、言葉を知らない。奇声をあげる。どうやって生き、繁殖しているのかは想像できない。分裂で増えるのか。ラバランは妖精を見ていた。ラバランはいおとしいものを見ていた。僕はいおとしいものを見るラバランを見ていた。僕はいとおしいものを見る彼を初めて見た。僕はてっきり彼の世界にはいとおしいものはおろか憎いものすらないのだと思い込んでいた。僕は妖精と関わることがほとんどない。この世にいることは知っている。けれど住む世界が違う僕は彼等に何もできないのだと考えている。何もできないのではなく何もしたくない。自らの無知により妖精が気味悪く見えて、自らの無知により僕が冷酷なものに成り下がっているのだとしても、だからなんだ。嫌悪感を抱くように作られているのではないのか、でなくてどうして、妖精はみんな人に人でない顔を貼り付けたような容姿をしている必要があるんだろう。ラバランはこの妖精をちゃん付けで呼んだ。妖精の衣服の色調は明るく、柔らかく、華やかで、幼稚だ。衣服のところどころ破れている部分や、破れた箇所から露出する肌の痣を、ラバランは左手でつつむようにする。僕は間近で見る妖精の姿から、今までの人生で目を離してきた分だけ目が離せない。妖精は僕の価値観の上では醜いが、醜いと言う言葉の意味を僕が本当に理解しているのか、僕にはわからなくなった。ラバランは僕に記録されることを恐ろしいと表現はしたけれど、僕に観測はさせる。その度に僕は知らない世界を知ることになる。用意された袋小路の中に生きていれば知る必要もない、灰色側の世界を。ラバランは僕の記録を拒むと言いながら、僕に記録の余地を与えている。僕はそれが意味するところがわかりそうでわからない。僕の観測している彼は、僕を介してこの世に刻まれる嘘なのかもしれないし、僕に記録されたくないという言葉こそ嘘なのかもしれない。僕は、ラバランが醜い下級生物に体液を分け与える光景に見慣れた頃、ほぼ無意識的にラバランは彼等がいとおしいのか、と聞いていた。彼に餌をやるラバランと、それを見ている僕は、ひとつの線香花火を見つめるかの様にしゃがんで寄り添っている。私は彼等になりたいよ、とラバランは言った。 「彼等は憎しみを理解しない、愛なら受容できる。こうして、彼等はノーコストで私の愛を手に入れている。」 ラバランは妖精の頭を撫でた。妖精はラバランを見て顔を痙攣させて笑った。思慮があるならとても出せない様な大きな高い声を出して。嬉しそうに。幸せそうに。僕はこの世でこんなに幸せそうな者を見たことがない。僕は妖精はひとつの例外もなく不幸なのだと思っていた。事実はどうだ。妖精である彼は哀れではある、でも不幸ではない。ラバランは今日、僕の顔を一度も見なかった。ラバランといると知見が広がる。この世界は僕が思っていたよりも醜い。そこには僕の心を引っ掻き回し、いわば、わくわくさせるエネルギーがある。この世界の醜い部分は、見逃し生きるにはもったいない程に入り乱れている。テーマパークにてテーマパークじゃないものが営まれている。命が始まる地点がこの世にあるとすれば、それは僕らの生きる整地された部分にはない。生きた建物、細胞分裂する街と言われるここにはそれがあるかもしれない。僕は後から知ることになる。ラバランは妖精に対し暴行を働き、その後にその妖精に対して血分けを行っていた。血分け以外も。あの妖精も、ラバランの仲間にあたるものが暴行を加えたのち、あの一角でラバランの血を飲み、ラバランを侵食し、幸せそうに笑っていた。ラバランにちゃん付けで呼ばれ、ラバランと手を繋ぎ、僕の目の前に現れたあの妖精は直前に、自分が暴行される様をラバランにただただ黙って見つめられていたのだ。だからといってあの妖精はラバランの愛を疑う余地もなかった。それは結果的にラバランの愛は揺るがなかったということにならないだろうか。ラバランは彼等になりたいと言った。それは彼等に嫉妬しているという意味なのか。彼等を愛しているということなのか。ラバランが彼にひどいことをしたから、だからなんだと言うんだろう。妖精がとても幸せそうで、ラバランを信用していたという事実は変わりようがない。僕は今の行為を心を用いずなるべく頭のみで考えた。彼のしていることがこの世に愛を増やす行為でしかないこと。それが妖精の「知能乏しく愛しか受容できない」機構による産物であること。今は血を与えていた。ラバランは妖精に犯されることもあるのだということ。一万堂の創始者で裏側の顔だと言われるラバランが妖精を目的語に彼等になりたいと言った、その事実。何が幸せで何が上級で、何が勝ちなのか、今の僕にはわからない。
171001