ラウディは外界のことを好んでいて、よく旅行には行きます。外界には一万堂にないものがいくらでもあります。ラウディはここ外界前で、時には一万堂の屋内に戻ってでも、外界のことを勉強するのが好きでした。酒場で、カフェで、子供に外界のキャストや出来事を話して聞かせると、隣の居酒屋からも子供が聴きにくるほどです。ラウディは充分慕われています。一万堂の建物の中はさておき、ここ外界前には、なんとプリンシパルのラバランを知らない者さえも、結構な数いるものです。ナリエの繁忙期(この辺りでは便宜上、その期間と期空間をナリエ祭と呼ぶことにしましょう)を楽しみに暮らしているくせに、「ナリエ」がキャスト、それもプリンシパルを指す語だと知らない能無しもいます。プリンシパルというものを言葉も知らずに信じている者もいるほどです。みんながみんな御本を読めるわけではありませんからね。ラウディが面倒を見ているのは、そういう子供も含む集合です。ラウディはソリストで、今では外界前の子供たちの頭領みたいなものです。ラウディは元々一万堂の建物の中で演技をしていたキャストですから、以前は外界前において一万堂からのお目付役のように疎ましく見られていましたが、こうしてずっとずっと外界前にいると、そういう免疫反応はさすがになくなります。なにせずっとというのは、ソリストですらないキャストが生まれて死ぬまでの期間を優に抱き込むほどですから。ラウディは高望みしないので、そして優しいので、溶け込んで、慕われて当然といえば当然でした。外界前という場所は彼の求心力で、一致団結とまではいかなくても、喧嘩をしても、時に無力化されるキャストはいても、おおむねまあまあみんな仲良くやっていました。ラウディが来る前は外界前の子供は一万堂の中にあまり率先して入ろうとしませんでした。仲間はずれにされるに決まっているからです。もうそんなことも減りました。一万堂に所属したいと願っていた子供は一万堂で舞台を得ることができます。一万堂を窮屈に感じた子供は外界前に引っ越しました。シーズン中盤にもなると、大したことは何も起きません。ラウディには好きなシュガーがあり、好きな衣装があり、生きて、生きています。「おおむねまあまあみんな仲良く」というのは、ラウディの知る外界での子供の歴史を回想して、それと比較して、ラウディが噛み締める幸せな感覚に名前をつけたようなものです。一万堂に文句はたくさんあります。しかしそれは目をつぶれば見えなくなりました。もちろん耳を塞ぐことだってまだ、できますからね。外界前には、外界を羨む子供が多く住んでいます。わざわざ清廉で便利で、高まっているに決まっている一万堂に住まわず雑踏と議論の渦中である外界前を選んだ子供達です。外界前を含む一万堂に関する文句も思想も酒の肴程度には話題に上ります。外界旅行に行こうという話はいくらでも出ます。それでも誰も「みんなで外界に住もうよ」なんて言わないのです。「外界にみんなで行こうよ」なんて言わないのです。外界には一万堂にないものがいくらでもありますが、一万堂には外界にないものの全てがあるみたいにみんなが言うのですからね。