1

餌木さんはシャールのお知り合いのプリンシパルです。シャールは、餌木さんと初めて出会った時に、自分にとても優しくしてくれたのを印象的に、少し前までは好印象に記憶していました。身なりがきちんとしていて、彼にしかない空気をまとっていて、言葉選びに知性が感じられて、セクシーで、素敵な人に見えました。住まいがお隣ということもあって、自然とよく交流を持つ知人なのですが、それとはまた別の次元で、餌木さんはシャールにとってもとっても、異様に優しいのです。そのことに気付くまでにそう時間はかかりませんでした。おかしな気の遣い方でした。シャールが何か落としたら拾う、シャールになにかをくれる。なにか困ったことはないかと、聞いてくれる。かといって別に、とてもよくお話するとか、とても慣れ親しんでいるとかそういうわけではないのです。仲良くなるほど深い話をさせてくれるわけでもなく、お隣さんなりの距離感は保ちつつ、なのに何故かすごく、尽くしてくれるのです。一つ一つを見ていけば、ありがたいし、そう気にすることもないことですが、なぜかそう、喜ばしくもなくなりました。居心地が悪いのです。ここまで気にかけられること自体初めてで慣れていないのもありますが、シャールは自分を見る餌木さんの、なにを考えているかはわからないけれど、なにも考えていないわけではない、それだけはわかる目が、何か見返りを期待しているようにも見えるけれど、よく見たら何も見返りなんて求めていない目が、気味が悪いこともありました。しかもどうやらシャールにしかその甲斐甲斐しさは発揮されていないらしいのです。「餌木さんってちょっと献身が過ぎませんか、」と同僚で後輩のレクトくんにぽろっと言ってみたところ、「は?」と言われた上「てっきり先輩が弱みでも握ってるのかと」等の若干失礼な回答が得られ、あれがやっぱり傍目から見ても異常かつ、自分にのみ行われる行動だと確信が持てました。餌木さんは、シャールではないキャストには至極まともでした。シャールにとって餌木の第一印象がとてもよく、憧れすらともなっていたこともあって、自分にもあんな風に接してほしいな、なんて思ったりもします。いつもありがとうございます、餌木さん。そう言葉にしつつ、さりげなく距離を取ろうとするけれど、餌木さんはそのやんわりとした拒否に気付かないのか、無視しているのか、やっぱりとても尽くしてくれます。シャールは、いつからか、本人にも、周囲のみんなにもわからないように、いやなものを見る目つきで餌木さんを見ることが増えました。今までこんなにシャールの気を向けてくれる人なんていたことがなく、ひとりでいることが多かったので、ぼーっとできる時間が餌木さんによって少し減っていることに気付いて、他人は自分の時間を盗ることができるんだな、それを実感しました。よく、ため息をつくようになりました。さりげなく、じゃなくて、きちんと避けよう、そう思って引きこもることも増えましたが、そうしていても侵食は0ではありません。今日も朝から、部屋の外から聞こえたグレブさんの「餌木さんがまたシャールくんにプレゼント持ってきた~」と言う声で脳みその血管が切れた気がしました。ため息はもう、癖でした。一緒に住んでいるみんなには、餌木さんを避けたいとか、迷惑だとか言ってるわけではないので、最近はシャールが好かれてやがるみたいなエンターテイメント性すら見いだされてるらしくて、下手したらみんなは餌木さんを率先して家に招きます。餌木さんはそこら辺とても上手で、シャールにつきまとう自分を卑下も隠しも何もせず、ストレートに周知させて、愛嬌にすらして、いつのまにかしっかり、この家の全員にとても好かれているようでした。シャールにはそれが、餌木さんがみんなを利用しているように見えました。餌木さんとそう気が合うようにも見えなかった上に、シャールが餌木さんを避けていると一応は理解している後輩のレクトくんさえ、餌木さんを押し付けるみたいなことを言います。 「餌木さんおもしろいのに。あの人超頭キレますよ。先輩も餌木さんと話したらちょっとはアホ治ると思う。」 「なんで餌木さんがこんな人にこんな甲斐甲斐しいのか理解に苦しむ。」 ……みんな、餌木さんを褒めます。孤島にいるみたいな気分です。餌木さんを避けたいとかみんなに言えない理由は、そこにありました。けれど、自分は実際に本当に、餌木さんをストレスに感じるのです。誰もわかってくれなくても。誰もが餌木さんをまともと言っても、一番のストレスなのです。じーっと見られていた時もありました。名前を呼ばれて、なんでもないのよ、とそのまま去られたこともありました。何も言わないくせに、ついてこられたこともありました。全部みんなのいないところで。自分から何か話しかけても、ごめんなさい、とかしか言わないくせに。もしかしたら、こうして追い詰めて疲弊させたくなるくらいに嫌われているのかもしれません。恨みでも買ったのかもしれません。何にせよ、いい加減何とかしなきゃいけない……。そうしたらなんだか、自分がこんなにいらいらさせられているのに何故自分からあの人の前にわざわざ……そういう気持ちになって、自然と舌打ちしていました。爪も噛みました。これらも、ひとりぼっちのときの、最近の癖でした。

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2

それは、餌木さんと接触するのが億劫で、なんとなくずるずる、結局あの決意を先延ばしにしていた矢先の出来事でした。その日はなんだかとても早く目が覚めました。まだ窓から見える空が淀んだ青をした、明け方でした。きっと既に体がいつもと違う空気や音や温度を感じ取っていて、安眠できなかったからでしょう。朝はとても好きなので、その時だけは、まあまあラッキーだな、こんな時間に起きられて……そう思って、もぞもぞと体を起こしました。この時間にしかありえない明け方の青色が、部屋のいろんなものを染め上げているのを、眠たい頭と目で見ていました。青は、この部屋にあるはずないものも染め上げていました。そのシルエットに気付いた瞬間、破茶滅茶に心臓が跳ねて、全身に鳥肌が立ちました。言葉にできない怒りも湧きました。不思議と、一瞬起こった恐怖や驚きも怒りにすぐに染め上げられて、頭には純粋な怒りに由来した高ぶりしか残りませんでした。ベッドから直ぐに飛び出して、それに馬乗りになり、力一杯首を絞めました。ある程度想像できたというか、予測の範囲というか、完全に意味のわからない現象ではなかったので、自分じゃないみたいに冷静に、その不慮の事態に対処できました。 ……てめえ、いい加減にしろよ。 とても静かに、言いました。みんなを起こしてしまうからです。馬乗りになっても、首を絞められても、それは全く抵抗しません。朝というには早すぎる空の光にぼうと照らされたその顔は、心底いらいらさせる、気味の悪い恍惚としたような表情を浮かべていました。首から手を離すと、抵抗しなかったとはいえ流石に、それは大きな咳を繰り返し、体を跳ねさせました。咳が静まる暇も与えず胸ぐらを掴み上げて、合わせるのも嫌な目を睨むでもなく、ただ、見つめます。涙をためた目をして、咳の合間に、シャールくん、と言いました。喉がいかれたみたいな、か細い声でした。そもそも、これとは何も話す気がありません。何もかもがカンに触るので、胸ぐら掴みあげるのもやめて、馬乗りもやめて、立ち上がって、寝たままのそれの襟首を掴み直してドアまで引きずりました。まって、っ待って、まって……ッシャールくん……。そこではじめて抵抗しだして、それが思いの外強い抵抗で、掴んでいた服を離してしまいました。それは這いつくばってドアから反対側の壁まで逃げましたが、そのままその壁の方向に追い詰めて、それの腹に蹴りを入れました。壁に体を打ち付けて、それはしな垂れるように床に伏せました。あまりドタバタやって人を起こすのが嫌で、これに大声出されたくもなくて、いやに冷静な頭で、シャールはしゃがみこみました。それは、顔をあげて、懇願するみたいな表情で、シャールを見ました。 「……シャールくん…好きなの……すごく、どうしようもないくらい、好きで、シャールくんのことしか、考えられなくて、」 続きがあるように聞こえましたが、イラっとしたのでその口を手で塞いで、そのまま顔を力を込めて掴んで、すみません、今後僕には敬語で喋ってもらえますか。そう言いました。それは掴まれて歪んだ顔でこっちを見て、直ぐに頷きましたが、何度もこくこくと頷くのを待ってから、手を離しました。それでも治らない苛立ちは、どうすることもできません。それは、あろうことか、泣き出しました。 「…シャールくんの全部が好きで、シャールくんに、何でも、してあげたいんです、……邪魔したいわけじゃ、ないの、本当に、シャールくんの為になりたいんです……本当なんです……」 反吐が出るな、そう思いました。何も言ってやる価値がない。理解もしたくない自分勝手な感情で今ここにいるんだろうな、それを思うと、何故ここにいるのかなんて聞きたくなくなりました。もう一度襟首掴もうとすると、それは身を引いて、いや、嫌、そう言いました。被害者ヅラにカチンときて、ほとんど反射的に、横っ面をはたきつけてしまいました。それが身につけていた眼鏡が、落ちて、より大きく、しゃくりあげて泣き出しました。 「…ごめんなさいっ……、ごめんなさい、ごめ、なさい…、どうしても、シャールくんの為になるなにかにっ、なりたいんです、……ッシャールくんの為に何かしたいんです、…今、逃したら……もう…シャールくんに、…何もできなくなっちゃうぅ、……だから…お願いしますっ、…追い出さないでください…何かに使ってください、なんでもいいんです、何かに使ってください、シャールくんの何かにしてください。お願いします…、おねがいします」 眺めていたら、土下座まで始めたので、髪の毛を引っ掴んで、顔を上げさせました。そのまま部屋の外に出すつもりで目も合わせずに立ち上がろうとしましたが、体にまとわりつくみたいに縋られて、涙がつくのにもその図々しさにも嫌悪感が湧き上がりました。けれど自分から何か大きな行動するのが心底癪で、振りはらいもしませんでした。おねがいします、お願いします、もう、お願いしますしか、いわなくなりました。縋られているこの姿勢のまま、動くのがめんどくさかったので、腕を組んで、少し考え事をしました。先ほどより明るくなってきた窓の外を見つめて、くしゃくしゃの白いベッドのシーツを見ました。どこか諦めがありました。このタイプの人間を突っぱねることに、限界があることにはすぐに思考が至りました。本当にゴミだな、理解に苦しむな、と思いました。なんでこいつが泣いてんだろう、ひっくひっく言いながら泣いている姿を一瞥して、余計にイライラしました。けれど本当にどうしようもないと判断できました。多分こいつは、ここで無理矢理外に出したところで無害化しないのです。理不尽でした。みんなに対してこいつを晒し上げて、空気を悪くすることも、できれば避けたいのです。みんなバカかつ、平和が一番だからです。こんなに自分に尽くす尽くす好き好き言う人物なんて、いないし、利用価値は、なくはないのですが、いかんせん本当に、この自分勝手な行動の数々に、もはや顔を見るだけでイライラして健康を害す域まで達していました。自分の時間やペースや価値観を侵食されることが、なによりも、なによりも、なによりも大嫌いなのです。腹をくくりつつ、自然と、舌打ちしていました。 餌木さん、ごめんね。痛かったですか? 頭を引っ掴んでベッドの上に誘導して、座らせました。その横に座って、頬を顎側から引っ掴んで、こちらを向けさせました。 これからは餌木さんを避けないで、一緒にいろんなことしてみようかな?って気になりましたよ。 こんなに表情筋を使わずに話すことなんて滅多にありません。ため息をつきました。こいつがどんな反応してるかも、見たくありませんでした。一応顔を向けてはいましたが、めんどくせえな、それしか考えられなくて、この世の全てが遠い、自分とは関係のない出来事になりました。

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3

とりあえずひとりになりたくて、適当な理由をつけて風呂に行かせることにしました。 餌木さん、お顔がどろどろになっちゃいましたね、折角いっつもかっこいいのになぁ… 餌木に話しかける時、自分からは信じられないくらいわざとらしく抑揚のある声が出るようでした。お風呂行ってきてくださいねと誘導したけれど、変に高ぶったみたいな声で、「シャールくんともっと、一緒にいたいです」とか言い出したので、またイライラして、普通に、先程のように襟首掴んで浴室に引っ張っていきました。もう餌木は嫌とも言わないし、抵抗もしません。半分自分で自分を引きずって、引っ張られる方向に準じました。ため息つきながら左手で脱衣場の壁に餌木の首を押し付け、右手で白衣のボタンを乱暴に外していきます。適当に脱がせていると、何故か目を合わせなくてもわかるくらい高揚したみたいな顔に変わっていって、脱がしているシャールの手を見ながら、はーっ、はーっと息を荒くしました。うんざりしました。ボタンだけ外して後は自分で脱ぐよう言いましたが、はあはあ言ってるくせに恥ずかしがってなかなか脱がないので、半ば無理矢理脱がして浴室に押し込み、自分は服のままで浴室に入り、シャワーを手にとりました。餌木は何故か服を脱がしている時点で、いや、殴っている時点で?ペニスを少し立ち上げていました。何の期待でそんなになったのかはわかりませんし、わかりたくもありません。餌木に、床におすわりしようねーと促して、シャワーコックに手をかけて、膝を抱えて座った餌木に頭から冷水をかけました。萎えるかな、と思ったからです。しゃがんで、のぞきこんで、今度は顔面に冷水をかけました。流石に寒くてペニスは萎えたようでしたが餌木は逃げない上に、楽しいとか、嬉しいみたいな、変な雰囲気すらまとい続けて細い体で震えていて、ゾッとしました。水を止めてその顔を見ると、何かを勘違いしているのか、やはり、笑っているのです。シャワーコックで、顎をあげて、目線を合わせてみました。寒いからとは別にゾクゾクしてるみたいな、やらしい顔をしています。 餌木さんしあわせそう。僕といれて、嬉しいのかな? 餌木は、返事をすることも、頷くことも、首を横に振ることもしません。気味が悪かったのでそのまま無視することにしたのに、シャールくんっ、と上ずった声で呼ぶ声がしました。異様に不快でした。恐らく呼んでいるのではないのです。独りよがりに名前を口に出しているだけです。餌木のびちょびちょの髪を引っ掴みながら立ち上がって持ち上げて、しゃがませて、膝に手を置かせて、脚を開かせペニスが見えるような形をとらせました。餌木が恥ずかしさと不安さを露わに目を合わせます。その姿勢にさせたまま、湯を出してペニスにあて、その姿を見下ろします。 ひっ、ぅ、ン、んぅ…… シャワーがあたる自分のペニスを見ながら、餌木は変な声を出して、切ない顔をしています。段々おったってきたペニスを見ていると、そもそもこういうの目的だったり想像したこと、あったりするんだろうな、と思えて、眉間に皺が寄りました。 なんでもしますって…はなから慰みものにされたかったんなら、そう言うべきですよ。この期に及んで、お前に自分守ろうとする権利、ねえだろ。 餌木はそんな姿勢のまま、違う、そんなつもりじゃない、ほんとに…何か言おうとしていました。言い訳がましさに嫌気がさして、乳首をぐい、と摘みました。仰け反って悲鳴をあげ、結局ペニスをひくひく持ち上げる姿を見て、呆れたみたいな気持ちになりました。 あなたの意思を聞いてるんじゃないんですよ。慰みものにされたかったですって言えよ。 もう一度シャワーを冷水にして、頭からかけました。 慰みものにされたかったって言え。 餌木は文句は言わないけれど、震えながらいちいち、目で何かを訴えようとします。黙って見下ろしていると、合わせていた目が伏せられました。 「慰みものに、されたかったです…」 歯の根が合わない口でそう言う餌木が、これでまた泣いたら、今度はもしかしたらシャワーヘッドで殴りつけていたかもしれません。なんだかどう足掻いても不愉快で、救いがなさすぎて、なんか愉快なことがねえとちょっとやってらんねえな、と思いました。 餌木さん、ほら、ここでトイレしてください。おしっこしーしー。 餌木は、何故かまた、シャールくん、と言いました。シャールは答えません。返事をする気もありません。 早くしてください。はやく。僕あなたのこと本当に嫌いなんで、面白くなかったら全くあなたといる価値がないんですよね。やれっつったら、やれよ。 餌木は、シャールを見つめたまま、少し間を置いて、…うぅ、ううう、と声を出して、寒くて小さくなった、そもそもそんなに大きくないペニスから、じょろじょろ放尿しました。尿は無色透明で、量が多く、それが自分にかからないように気をつけながら、ペニスとか、すがるみたいに目をそらさない餌木の顔とかを、見ていました。尿らしい匂いがしたので、湯を床に流しました。尿を出し終わって姿勢を変えようとする餌木の顔面にその湯をあて、飲め、動くんじゃねえよ。そう言いました。妙にイラついた声だなあと、自分で、思いました。控えめにしか動かない喉仏を見て、髪を引っ掴んでシャワーをもっときちんとあてて、 もっとガブガブ飲めるでしょう、 そう言ってずっと、しゃがんだままの彼を見ていました。口いっぱいにためた湯を腹に何度もゴクゴク流し込む喉を観察して、僕、何やってんだろう、そう思いました。バカバカしくなって、髪を持ってた手を離して、またため息ついて、 体洗って服着てから来てね。 それだけ言って、シャワーを持たせて、風呂場から出ました。ベッドのある部屋に戻って、というかベッドに戻って、もう一度寝るつもりでいましたが、下手したらこの部屋に入られてたのって今日だけじゃないのかもしれないな、と考えてしまって、そう簡単に眠れそうにもなくなりました。気持ち悪くなって部屋に変わった痕跡がないか確かめてみようかとも思い至りましたが、餌木本人が既にここにいるので、無駄に思えました。目を離した今ですら風呂場で何かやってないとも限りません。結局寝れるはずもなく、思い出せば思い出すほど何から何まで勝手で腹立つクソ、と思う、それだけでした。寝れずにベッドに座って本を読んでいたら、着替えた餌木が出てきて、 「シャールくん、またおトイレしたい…」 と言いました。それが、もう一回分の尿意がある、という意味なのか、また放尿するところを見られたい、という意味なのか図りかねて、頭が痛くなりました。本をベッドにぽいして洗面所にそのまま餌木を引っ張っていって、鏡に対面させ、後ろからズボンのチャックを下ろして、自分がトイレするときするみたいに勝手にペニスを取り出して、ペニスを引っ張り上げ無理矢理背伸びさせ、シャールの手で先端を洗面台に向けました。餌木はなんで?と言いたそうな顔をしていますが、なんでもクソもありません。 ほら、餌木さん、しーしー。どうぞ。 さすがになかなかすぐには出ませんでしたが、おそらく見られているからであって、最初がちょろ、と出てしまえば、すぐにじょろじょろと尿が出始めました。鏡から目を逸らしながらおしっこしていましたが、一瞬、鏡越しに目があって、その時、みないでと言いかけて、やめたみたいなそぶりをしました。別にストーカー行為に及ぶ変態だからといって、その相手の目の前で放尿することに抵抗がないわけではないらしいのが、鏡に映る顔から察せられました。鏡に写る餌木は思っていたより小柄に見えます。恥ずかしさか惨めさかでいよいよ泣いてしまった餌木を殴りつける気までは、起きませんでした。湯を一気に飲ませたせいなのか、一度あれだけ勢いよく放尿していたとは思えないくらいの量が洗面台に流れていくのを、不思議な心持ちで眺めました。いつも完全に身なりが整っていて、一部にはキャーキャー慕われて、高圧的な部分すら感じさせるオーラのあるこの男が、洗面台で後ろからひとまわりも年下の男にペニスを支えられておしっこ垂れて、泣いている。異様な光景でした。いい加減、シャールの提案は提案ではなく全て命令で、自分に発言権はないと理解したのか、今回は無駄に名前を呼んだり、変に見つめてきて渋ったりはしませんでしたが、その順応の早さがかえって神経を逆なでしました。

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シャールは善良な青年な筈でした。善良のはずが、まるで暴力の才能があるみたいでした。なぜあんな暴力やら辱めやらのひどいことを自分からすることができたか、シャールにはわかりませんでしたが、どうすることもできないからだと、至極シンプルな答えが出ました。餌木に対して、お前のやったことは異常行為だから、お前のことは告発もするし今までよりもっと避けるし、お前のことは嫌いだと、言う事は完全に無駄だと理解していたし、その理解の通りに、シャールは何も言いませんでした。餌木は異常行為だと自覚した上で異常行為を成し遂げていて、告発したことで変わる環境なんて餌木を殺すほどでもなく、餌木は、シャールに嫌われている事を自覚しているらしいからです。 「好きになってほしいんじゃないの、シャールくんが私のこと嫌いな事は、ほんとによくわかってるの。嫌いなままでいいし、何されてもいいから、側においてほしいの、それだけなの」 それだけなの、「それだけ」という言葉にシャールは、それによってシャールが大事にしている大半を奪われるということに対して無頓着である勝手さが感じられ、心の底から怒りがふつふつと湧いてきました。どうしようもない。どうしてもひとりでいたくても、これからはそれが叶わない気がしました。だって餌木はこの部屋にいたのです。だったらこの部屋は自分だけの部屋ではないのです。本当に僕のためになりたいなら、ひとりにさせてください。貴方が一番、僕の大事なものを奪って、ストレスになって、僕の心とか命を、削っているんです。そう言いそうにもなりましたが、それを餌木に教えて、それを餌木に共有すること自体が癪でした。自分の本当の気持ちくらい、自分だけのものにしていたい。かといって、日記に綴りたくもありません。こんなに他人に侵食されている心で言葉綴って、それを残すなんて、自分の世界が穢れる。シャールは日記を書くことも休むことにしました。このどうしようもなさと折り合いをつけて、自分を、この男がいる状態であっても自分の手の中へ、帰してあげられなければ、そう変わらなければ、そう思いました。その一方法として無意識にとった行動こそ、餌木に対してのひどいことの数々だったのです、きっと。シャールにとって、怒りと諦めは対局にあります。加えて、シャールは諦めが好きでした。シャールにシャールを帰す為には、全てを諦めるしかありません。シャールは餌木を最初に暴行したときに、自分は餌木がこの部屋にいることを諦めたのだと割り切りました。餌木がこの部屋に出入りすることを諦めて、今までのことも諦めたのだと。じゃないと、自由になんてなれない。本当に自由になりたいのなら、どんなことも平気にならなくちゃいけません。自分が自由じゃなくなった分、シャールは餌木に不自由を強いたくなりました。餌木の自由を同じくらい奪わないと、自分が自由になれないような気がしました。餌木から何かを奪わないと、自分の何も取り返せないような気がしました。あの日の自分が、自分じゃないみたいにひどいやつになったのは、餌木が自分からいろいろ奪ったせいなのです。餌木はシャールの部屋で、居場所がなさそうにベッドに座ってシャールの部屋にあった本を読んでいます。そうしていろと、命じたからです。シャールはベッドから少し離れたところにある椅子に座って餌木を観察します。餌木が勝手に自分と一緒にいるようになって一日弱で、餌木のいる部屋でもまともに考え事ができるようになりました。それは自分が餌木から何かを取り返すことができたからかもしれませんし、自分が餌木に何かを完全に奪われたからかもしれません。割り切れているわけではありません。餌木には、これから徹底的に自分の益になってもらわないと、気が済みません。徹底的に自分の害にだけは、なってほしくありません。シャールは、諦めを上手に使って、物事を乗り越えてきました。今回も上手に諦めがついて、乗り越えられる感覚が、ないわけではありません。別に、餌木をパシリに使う気はありません。見目に関しては好ましい範囲なのだから、ペットにでもすればいいのです。順応すればいいのです。だからただただ餌木を眺めました。今まで目を合わせるのも嫌でしたから、こんな見方をしたことは初めてです。 シャールは、自分はみんなにそう尊敬されてはいないけれど、餌木はみんなの前では凛としていて、美しく、尊敬を集めていることに関しては、全く何も感じません。 ええ、ええ、餌木さんとは仲よくなりました…… 食事の場で、餌木とは少し離れた席で、シャールは餌木と、何事もなかったみたいに目を合わせました。本当に少しだけ仲良くなり始めた隣人を見る目で、少し困ったみたいな笑顔をして、餌木を見ました。餌木も、この場での自分の立場と仮組みされたシャールとの関係性を考慮した笑顔をして、シャールを見ました。 だって、わかるでしょう、照れくさいし、わけわかんなかったんですよ……僕こんなふうに人に良くしてもらうの人生で初めてなんですから… みんなバカだから、餌木さんがこんなだとわかりっこない。その解釈についてだけは、そうシャールと餌木で差はないと気がしました。茶番は茶番ですが、シャールにとったらこの茶番以外だって充分茶番だったりしたので、案外平気でした。餌木がシャールの声に集中している気がして、居心地が悪いのは今までと変わりありませんが、心構えが諦めに傾いた分、少しはマシでした。餌木の目線が鬱陶しく感じても、あとで散々、見てんじゃねえともなんとでも言えるのです。それだけで少しは、生きるのが楽になった気がしながら、食事を口に運びました。見られていることも慣れてしまえば、別に生活に支障をきたす程でもなくなりました。今まで見ないようにしていた餌木を観察しながら、これは慣れる恐怖と、慣れない恐怖でいえば、慣れる方だったのです。シャールは、自分に時に、本当にどうしても、どうしようもなく、他人を噛み千切ってぶん殴って蹴り飛ばして踏んづけてぶち殺してやりたくなる時があることに気付いていましたが、どうすることもできないでいました。餌木の存在は都合がいいのかもしれない。そう思えばもう、次の日には割り切れそうだといえました。シャールはそういう自分がとても好きでした。けれど自分が自分を好きだということには、気付いていませんでした。

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餌木は、床に、姿勢を正して座していて、指に白銀のピンを摘んでいました。その切っ先を自分の胸の突起に、横軸の穴を穿つように当てて、そのままじっとしていました。今日は、今は、餌木は服を脱いでいません。必要十分な一部の衣服をはだけさせて、その姿勢をシャールに晒していました。ピンを摘む手の震えを、突起に添えるピンの一点に、ある程度もたれることで軽減させていました。震えているだけでシャールが眉をひそめるからです。けれど震えていないと、シャールはより眉をひそめるでしょう。噛んでいる下唇の方が先に千切れてしまいそうで、ただただ上の歯を下の歯に噛み合わせて力を込めるに留めました。忘れてはいません。シャールが怖くなかったことも、可愛らしかったことも、仲良しであったことも、懐っこかったことも。餌木には前世がわかるものだから。恐怖とは、異質なものにのみ向けられる感覚ではありません。自分が自分でないものに変質せざるを得ない時にも、恐怖は生じます。やっと辿り着いた“自分を嫌うシャール”によって、初めてもたらされる変化。餌木はそれを恐ろしいと感じていました。恐ろしいと感じることができていました。それを待望し過ぎていたから、恐怖を微塵も感じなかったどうしようと懸念していたのに。餌木の震えは本物でした。シャールが餌木の本物の震えを見ていました。右手でピンを摘んで左手で肌の先端を固定する、切腹にも似た、ただそれにしてははしたなく女らしすぎる姿勢を見ていました。侮蔑を交えた水色の瞳で。藍色の瞳孔のレンズの奥の暗い穴には、きちんと餌木が写っていました。しかしシャールは泣きました。ポタポタ涙がこぼれるのを、ずっとしていたそのままの姿勢で餌木は見ました。「なんで貴方なんだ」とシャールは言いました。

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