ずっとお仕事着だった気がします。昨日の夜までは記憶が飛んでしまわんばかりに忙しかった。いろんなところに行って、いろんなキャストに会った。ウスルはほとんどボーッとしながら一通りお家の掃除をした後、リビングの床に寝転がって、天井の灯を見ました。また埃を見つけましたがそのままに。至る所の医療行為をアシストしました。実況も数件こなしました。働き詰めでした。それらは勝手に押し寄せて勝手に引いていく波のように一気に落ち着いて、後には腑抜けになったウスルが転がっているのでした。こういうのを翻弄といいます。ウスルはお仕事が得意ではありませんでしたから。腑抜けているウスルの元にも、いつも通りシャールは来ました。シャールはいつも、何かと理由をつけては遊びにくる友人です。シャールは寝転ぶウスルの隣に座り込んで言葉を落とします。また予定を持ってきたような口ぶりでお話をはじめたのでへとへとのウスルはほとんどうんざりしながらそれを聞き流していましたが、ウスルの親友が長期の休暇を賜ったこと、シャールがそれに合わせてウスルと親友を別荘に招待するつもりなことなど、聞いているとだんだん元気が出る素敵な言葉ばかり降ってくるので、目を開けるくらいはして、なんならシャールを褒めてやろうという気にはなってきました。

ウスルの親友はレクトといって、シャールとも友達です。特別ゆったり過ごしているウスルやシャールと比較するのも不適格なのかもしれませんが、レクトはキャストの中でも特別多い仕事量と、それに見合う大量の傘持ちを抱える男の子でした。何せ餌木のお妃さまのひしょなのですから。今日から暇なウスルと今日も暇なシャールは、旅行に着ていく衣装と手配すべき傘持ちを、シャールの役立たずの傘持ちをなでなでしながら考えてみることにしました。


空泉の海沿いの別荘にバカンスに行くはずの3人の男の子たちが、特別なお食事会に出席できるくらいしゃんとした格好をしているので餌木は理由を問いました。「餌木さんのお車に乗るから……」と言って、シャールはもじもじ俯きました。餌木は馬鹿ねと答えて笑いました。うぶであること、無知であること、怯えていること、友達と仲良くしていることは、餌木にとってはとっても羨ましいことです。
「私が怒ると?」
シャールは照れながら、いい服を着る機会だからとも答えました。餌木がますます笑ったので、運転手はちょっぴりびっくりして、餌木を珍しそうに見るのでした。ウスルは忘れてしまったくらいのいつかに餌木にプレゼントされたスーツを着ていて、餌木に褒められましたが、着方が合っているか分からなかったので、お礼は言うものの、ちょっとばつが悪そうにしました。シャールがわがままを言ったから車を貸すわけではないと断った上、餌木はレクトを見て、口を開きました。
「あなたへ、ねぎらいなのよ。何シーズンぶりのお休み?仕事の中でしか息ができないのね」
レクトには話しかけられると、ほんの少し顎を上げて相手を見やる癖があって、シャールはそれが餌木との会話には似合わなく見えて、珍しいので二人を見つめます。そしたら餌木もレクトもシャールを見ました。そしてすぐに二人ともシャールを見るのをやめました。
「友人に、息抜きを教わります」
「是非そうして。いってらっしゃい」

運転手が恭しくドアを開け、シャールから順番に、3人はかわいい車に乗り込みます。丸い背中をした車です。ゲストからもたらされた、特有の文化を反映した形です。昔のものを新品のように使い続ける手間のかかった、新品のお城より価値のある内装です。シャールは運転手にお久しぶりですと声をかけました。
「餌木さん以外の運転手にもなるんですね」
「いいえ。パパの付き添いです。運転は私の傘持ちが」


かわいいお車は、どんどんブロキマナクの寂れた方へと滑り出して、空泉にあるシャールの別荘を目指します。ウスルは窓の外をよく観察しました。濁った池も、裸足の通行人も、木でできた小さな家も、お話の中に出てくるくらい、のどかでした。シャールは、寂れてるからいい、と言い、ウスルはほとんど身動きしていないくらい小さく適当に頷きました。レクトはソーダパーティの中にいるときと同じような、眠そうで集中していない顔をして、ウスルの服装を誉めました。傘持ちの運転する車はやがて、白い壁をした平たい家の前に止まります。部屋の一つ一つが大きいとわかる、ぺったりした平家です。海がすぐ近くにあって、建物から浜辺へ道が伸びています。
「いい旅になりますように」
運転手の傘持ちは帽子をとってお辞儀しました。そのまま餌木の車に乗り込んで、戻っていくのにシャールが手を振り終えてから、3人は別荘に入っていくのでした。

ウスルはその建物を仰ぎ見て安心しました。プリンシパルの持ち物とはいえ、小さくて無力な傘持ちしか持たないキャストの別荘なら、使い物にならないことも充分考え得ることでしたから。静かな場所にあるお家ですが、入ればもっと静かです。色の少ない地区にあるお家ですが、入れば一段、沈んだみたいに色がありませんでした。印象として、誰も使っていないけれど、誰かが来るから手入れをしていた、清潔な埃っぽさをしています。ウスルが見ると、シャールは早速ネクタイを外していました。レクトもすぐに首元を開けていました。二人とも前向きなため息までついていました。なのでウスルもジャケットを脱ぎました。ウスルも笑ってしまったので、餌木が見たら笑ってしまうに違いありません。
「僕の傘持ちじゃできっこないから、レクトくんのを借りて、掃除してもらって、整えてます。それに、結構使うんです、ひとりになりたいから。」
でも久しぶりかな、シャールが居間につながるドアを開け、すうと息を吸います。ウスルとレクトは居間の大きな窓から見える、明るい海を何か期待している光ある目で見ながら、シャールの後にぞろぞろついていきます。レクトがした、せっかくの長い休みに、いつもの場所でよかったのかとの問いにシャールは、僕はどこでもバカンスだからと答えました。
「僕が案内できるところならレクトくんの稼働を減らせるでしょう」
シャールの傘持ちは別荘の勝手を知ってかしらずか、3人より先にほうぼう散っていきました。寝室にはその内のひとつがもったりしながら落ちていて、シャールはそれを拾って椅子に下ろします。きちんと3つベッドがあって、シャールによると、今日のために運んだのだということです。

お店にお肉を食べに行くとは、旅行を企てたシャールがあらかじめ決めていたのです。お空がシャールの髪の色と同じになってくる頃、 ふわふわの傘持ちを別荘に置いて、 3人は歩いてお肉のお店を目指しました。シャールはポケットの中で、お昼に遊んだお池で拾った丸い石を握っていました。ウスルはシャールに突然ぬくい石を渡されて「ひとはだ」とだけ言われたので、急いでそれをシャールのポケットに捨てました。坂道に差し掛かって、お肉屋さんの灯りが見える頃、ウスルは周囲の塀に箱が飾られているのを見ました。加工された薄っぺらいズーシーの入った箱です。

230209vr