餌木が一万堂で遊戯を目当てしないでただラバランに会いにいらっしゃるなんて、そうでないあいだに大きな演目が7つは立つくらいに稀なことです。それでも時々はお目付けか何かで会いにいらして、その際は秘密の豪奢なエレベーターを堂々と使ってラバランのことわりなく会いにきます。餌木はアポイントなんて取りません。ラバランは用意周到です。あらかじめ餌木がどんなふうにいらすのかを確認できるようにセリの感覚と観察の為の特別な機構を研ぎ澄ませています。それによればエレベーターには餌木と餌木でない、しかし餌木によく似たキャストが乗り合わせていました。ラバランは驚きました。餌木と顔を合わせるまでに残された短いいとまに餌木でないキャストが一体誰なのか検討をつけようとしました。それが到底できないことにもとても驚きました。役どころか身分も計れませんでしたが、餌木ほどの身分というのはありえませんから、餌木にするようにもてなすことにしました。

 いよいよ直接まみえればますます、餌木の隣で俯いて座るキャストにラバランは覚えがありません。ラバランは餌木にするよりももうひとりに注意を払いました。ラバランはキャストについて、そしてプログラムについてよく覚えておくように努めています。常に新しいことを覚えるようにも努めています。その訓練に自信がありました。ラバランはブロキマナクが好きなのです。なので彼を見てラバランは彼が一体誰なのかをあまりにも知りたくなりました。餌木が連れてきたということにも推理を立てて、わくわくしました。その驚きと高揚が表情にも指先にも表れて少し震えました。ラバランは存外リアクションを隠さないプリンシパルです。

「アルチュール、と言うの」

彼示して餌木が言います。プリンシパルだとも付け加えました。彼は餌木と同じマスクを使っていることが疑いようもないくらいに餌木にそっくりでした。ラバランは餌木にもっともっと説明を求める意味で視線を投げかけましたが餌木は意に介しません。ラバランはよほど餌木に何もかも問いただしたい筈でしたが、餌木の態度が聞くべきでない何かをラバランに想起させ、かえって言葉選ぶことができないようになりました。ラバランは下唇を少し噛みました。餌木は何もかもに対してそうするように、素っ気なく「アルチュール」と名指されたキャストに、ラバランが何なのかを紹介しました。ゆっくりと「あなたが今後従うべきは、私でなく、彼よ」と言い添えました。餌木はソファに体重を預けるようにして腕を組みます。脚も組みます。秘書がシュガー(ここではお茶のような内容です)をセッティングします。餌木は今度は組んだ腕で体を抱くような前傾をして、ラバランに、“アルチュールを教育してほしい、ゆくゆくは一万堂で主要と言われるいずれかのフロアの主役になれるように”という旨を手短に伝えました。餌木はアルチュールを見ました。アルチュールも餌木を見て、そしてラバランを見て、小さく頭を下げました。ラバランは何もわからないままでしたが微笑みました。歓迎しているように見えるように。ラバランはアルチュールとアルチュールを介する餌木のくわだてを受け入れることがラバランの意に沿うかはともかくとして受け入れるしかないことはあらかじめ知っていましたから、あまりラバランがすべき所作にレパートリーはありませんでした。餌木はいつでも要件以上に長居しません。すぐに去りました。シュガーはいつも通り手付かずでした。アルチュールは取り残されました。

 アルチュールはローテーブルを挟んでラバランの斜め向かいにいます。俯いています。餌木が去った以外応接間は全てそのままです。アルチュールは志のようなものをあらわしてはいません。消沈しているようにすら見えます。その様子はプリンシパルにも主役を張るにも到底見合うものではありません。餌木の意向とアルチュールにはズレがあるようです。餌木はそのズレの分をラバランに任せたということです。アルチュールの実在をどうにかしてはかる心意気でラバランが口を開こうとすると、ほとんど同時に「僕は」とアルチュールは言いました。ラバランは頷きました。しかしアルチュールはそこからしばらく口を開きません。ラバランのように沈黙に異様になれたキャストでなかったら、こんなに長いしずけさを、キャストが2人で作り出すことはあまりないことです。アルチュールはもう一度僕はと言って、また静かになりました。ラバランは質問をしてみることに決めて、少し伺うように重心を前に傾けました。

「君はちかごろ、目覚めた?」
「……いくらか前に目が開いて、ついさっき意を、表にできるように、なりました」

 アルチュールはじっとして、そして元気なくわからないことがあまりに多いのだと言いました。プリンシパルというのがわからないのだと言いました。他にも、とも言いました。ラバランはびっくりしましたが、ゲストだってそのくらい何も知らないものではないかと思い直して驚きを隠しました。ラバランは目を閉じて、開きます。ラバランはこの度驚きを隠さなくてはいけないばかりです。

「知らないことを知ろうというこころざしはありますか?」

アルチュールはうなずいて、「もちろんです」と言いました。はじめて声色を少しうわずらせて「できるだけ早く、何もかもを授けて、助けてください」とも言いました。

 ラバランはアルチュールアルチュールの部屋に赴くことにしました。アルチュールはラバランの優しい声かけの少し後、ソファから細く無力そうな脚を伸ばして地面に立ちました。孤独そうに。ラバランにはアルチュールが、とても寒そうにしているように見えました。アルチュールはソファから立ち上がるのにも震えて、歩いてみるとドアをくぐることにとてもおびえるのです。その様子はラバランにキャストとして基礎的な恐怖を思い出させました。”ドアを通れば帰れないかもしれない“ブロキマナクがこんなに整頓されていなかった頃には当たり前の恐怖だったのに。ラバランはそれを忘れていたことにはっとしたのをまた隠してアルチュールを支えます。アルチュールの歩幅は小さく不規則的です。ラバランは一度つまずいたアルチュールの手を取ってから、その手を離すわけにはいかなくなりました。「めまぐるしい」アルチュールが頭をもたげて言いました。「でも、けれど」アルチュールは重そうに頭を抱えました。

「餌木が消えてよかった」

 ラバランはアルチュールのその言葉には今度こそあまりに驚いて、いよいよ声を出さないようによほど努めて息を詰まらせたほどです。聞かなくてはいけないことが増えたのを後回しにしようと無理矢理飲み込んでラバランは壁に規則的に並んだ細身の装飾をゆっくりと横切りながらアルチュールと進みます。

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