ひじりがザインを発見したのは、夜中になってからでした。近頃たびたびぶっ倒れてはゲロを吐いているザインが、ひじりが心配していたとおりにぶっ倒れてゲロを吐いていたのでひじりもほとんど気が気じゃなくなりながら、ザインを風呂場に引っ張ってって、昏睡させたままに汚れたところを綺麗にして、とりあえず体が冷えないうちに自分の部屋のベッドに裸のまま寝かせました。いつから倒れていたかはわかりませんが、家の前に近いところにいたので、大した時間は経っていないとふみました。けれどザインの苦しみは、永遠みたいなものらしい、ひじりは知っていました。ザインの体の造り主はひじりです。ザインは最も器との相性が悪く、ひじりが最も、今この世界において最も、気にかけているキャストでもあります。いつも、世界に酔ったみたいに、食事をした日はその食事を、食事をしなかった日は退化した水っぽい胃液を吐きました。倒れることも、嘔吐も、モーモー先生と呼ばれる青年が面倒を見ていました。あまりにひどい時はひじりのところに相談に来ていましたが、それもザイン本人が、ではなく、モーモー先生がです。ザインにはどうにも、自らの不調も、ひいては命さえも、どうしても関心が持てないようでした。
「この人の事は俺にも、あの、わかりません。」
彼はそう言いましたが、それでも彼はザインのことを最もよくわかっている人物だとひじりは踏んでいました。彼に教わったザインについての情報をつなぎ合わせることが、一番正確なデータになりました。ひじりはこの世界でいう、創造主のうちひとりみたいなものです。けれど、ひじりはこの世界で気にしなきゃいけないことなんて、新しい、これから生むもののことしかなかったくらいに全てがうまくいっていたもので、こうして現れた顕著な不調を持つキャスト、ザインのことは、いつも、とっても、気にかけていました。気にかけずにはいられませんでした。そして今日がこれです。これからは本格的に、ザインのことを自分の部屋で面倒見る気で、ひじりはいました。今は落ち着いていて、ひじりのベッドで寝ていますが、意識が戻ったわけではありません。ひじりはベッドの横に椅子を引っ張ってきて、ベッドの脇にもともと備え付けてあるテーブルの上にポットとカップとタバコと灰皿をガチャガチャ置いて、そこで一夜を過ごす気で椅子に腰掛けました。ザイン。美しい器。それも、ひじり自身の予備にしたいくらいに。今は安らかな寝顔も、さっきまではゲロの中に突っ伏していました。きっとザインにとってこの世界は、ゲロのドブの中みたいなものです。ザインのこと、これからどうするか、考えながら、紅茶を結構なペースで消費していたら、ザインは急にぱっちりと目を開けました。空中を見ながら、「ここで死にたい」と言いました。その声は弱々しかったけれど、自分が弱々しいなんて微塵も気付いていないかのように、目だけが爛々としていました。痛々しい、ひじりにはそう見えました。自分の手から生まれ出でたものが、苦しそうにしているを見るのが、こんなに心が痛いことだなんて。苦い顔して、ザインの頭を撫でました。ザインは、それでひじりに気づいたみたいに、ひじりを、爛々としたままの目で見てまた口を開いて、
「ここにいても、もうだめだから」
そう言いました。ダメじゃないって言葉では言えたかもしれませんが、この子がダメって言うならダメなのです。認識とは、そういうものです。そして世界とは認識である可能性が高いのです。ひじりはザインの言葉に答えずに、何かあったのかを問う質問で返しました。体の数カ所に痣と引っ掻き傷があったのを見ました。誰かと何か、あそこか、どこかであったのです。
「死のうとしたんだよ。」
「モーモーちゃんを犯して、モーモーちゃんに犯されたら、死ねる気がして」
逃げられた。ザインはそう話しました。段々、爛々とした目はしなくなって、かといって眠る気のある顔になっていくわけでもありません。介抱の一環として少しだけ与えた自分の血が、彼を余計に眠れなくさせているのかもしれませんでした。彼のことは、彼でもわかりません。彼は自分の状態を自分で把握することが、人並み以上にできません。だから、モーモー先生に、頼らざるを得なかったのです。ひじりも、ザインも。
「疲れちゃった。」
ひじりには、何に疲れちゃったのかまではわかりません。モーモー先生と、以前から何かあったのかもしれませんし、別になかったのかもしれません。ひじりには、そういうことは大して言及すべき問題だとは思えませんでした。目の前のザインが疲れちゃっているのが全てでした。ひじりは、ザインが大切でした。それはひじりが、手がかかれば手がかかるほどについそっちを贔屓してしまう気質の持ち主だったからとか、ザインが黒くて白くて、色濃く美しかったからとか、その割に嘘みたいに弱っているからとか、そういう理由や言い訳みたいなものを超えて、ただなんとなく根本的にひきよせられて、ということに、自身では気付かないまま、ひじりはザインを覗き込んで、ザインの頭のてっぺんを撫でて、白いまつげを下向きにして、瞼を閉じて、キスしました。体液の供給としてです。それは音もしないくらいのキスで、粘膜と粘膜が触れていることを忘れさせるくらい軽いものでした。そのままゆっくり口を離そうと体を起こしはじめたひじりの頭を、白いさらさらの髪ごしにだっこするみたいに、にゅっと差し出された長い腕が掴んで引き寄せました。さっきまで布団に隠れていてあるのかないのかすら分からなかったはずの腕は強く絡みつき、ザインの口は、ひじりが息を吸わなければいけないことなんて知らないみたいに、ひじりの柔らかい唇をひっぱり、包みこみました。さっきのキスとは比べ物にならないくらい押し潰したりします。やわらかい唇を割って入ってしまって、身を押し返そうとするひじりの歯列をれろ、と舐め回しながら、ひじりが離れよう、離れようとすればするほど頭を強く抱え込み、息のできなくて少し開いた歯列をも割って器用に動く長い舌がひじりの舌を絡めとりました。音を立てて吸って、顎を上向きに首の筋や喉仏をもっと隆起させました。それらは唾液を飲み込むために蠢きました。お布団にちんと寝ていたのは、これをカモフラージュするための擬態だったのではというくらいの獰猛さで、ザインはひじりの体液を貪りました。もう、キスされていても鼻で息をすることに慣れました。ひじりの抵抗はずっと続くものではありません。はじめに少しだけザインから逃れようとし、頭を抱えられたらそのままでした。唾液を貪り続けるザインがひじりにはひじりなしじゃ生きられないものに見えました。しかしこのままこうしてつながり続けていればザインなしで生きられなくなるのはこっちな気もしました。ひじりの生きざまにはなかった感覚でした。なぜなら関係がないからです。怖いような気がしましたが、ひじりに怖いものなんてこの世にはあまりありません。すべて、憎いものも理解できないものも含めて、すべてが可愛いもの、愛すべきものに分類されます。少しだけ離れた口で、ザインは「美味しい」と呟いて、ほとんど一瞬の隙を見せないままにひじりの首筋食らいつきました。ひじりは悪態にも満たない悪態をつきながらザインの胸あたりを押し返しますが、回されていた腕は組み替えられて、食べにくいから食べやすくするだけみたいに自然に、ひじりはベッドの上に引き寄せられました。ザインの腕がひじりを捕まえて、ザインは自らの唾液が伝っていくのに顎を擦り付けて、ひじりの首にある味を全部舐めとろうとします。唾液は筋肉の溝をなぞりつるつるすべってひじりを濡らして、部屋の唯一の明かり、すぐ側の間接照明に、赤っぽくぬらぬらと照らされました。唾液で滑る歯でぐりぐりと甘噛みされていたくて、きっと歯が立てられなくても痛い気がしました。やめろとか、言わなくはないのですが、すべての抵抗は特筆する必要もなく無駄でした。ザインの長い指がシャツの一番上のボタンに手をかけ、ひとつ外されました。外したそばから舌が降りて、その下のボタンもその下のボタンも、外されます。食われるとはまた別の寒気がして、ザインを叱りました。もうザインはどこも弱々しくありません。万物の父の体液は、美味いし、効くし、頭を冴え渡らせます。それにしても動くことができすぎていますが、それはザインが自らがどれだけ弱っているか回復しているかなんてわかっていないからです。目の前に美味しいものがあるから喰っているだけです。それが後で胃もたれをもたらすかとか、それで自分が回復しているかとかなんていちいち考えるならばこんな顔しません。脳みそには中と外がありますが、中側をよく使ってザインは動いています。無駄を承知でザインを押し返しましたが想像以上に無駄なことに驚き、強い、と素直に感心しました。ザインの大きく開く口も、力なんて入れなくても大きな力を持った赤くて長い手指も、ひじりの中に奇特な明滅を生み出します。考えれば確かにこの子がお腹空いてるから、すごくおいしいから、食べたいから、なんとなく、そういう気分、それだけで誰かの全てを奪うだけの力のある子なのは明白だったのです。唾液をせがむ小さなおさかなに行動原理は近いはずなのに、あまりに大きすぎて、自分が歩いてきた道に、大抵のものが残らない。ザインのことは愛しいです。それにひじりは、ザインがいくら獰猛で大きくても別に怖くはありませんでした。自分を全部食わせてでも守る、それがひじりです。しかしそれとこれとは別の、なめんじゃねえみたいなシンプルな抵抗がひじりの今の原動力でした。鎖骨に集中しているらしい頭を引っ掴んで引き剥がそうとしますができません。そうこうしているうちに抵抗する元気が先ほどよりなくなって、この先何が起こるかが恐ろしくなりました。ザインが本当に腹が減りすぎて、本能でひじりを喰っているなら、自然とより濃厚な体液が得られる方法に行き着くでしょう。今ですらなんの抵抗もできていない事実を理解したくなくなりました。嫌悪感とか絶望とか呼ばれる感覚です。ベッドから降りようとしました。手を振り払って背を向けるひじりの脚と、サスペンダーを引っ掴んでザインはひじりを組み敷いて真正面から見る姿勢に軽々引っ張り込みました。そのままサスペンダーごと力尽くでズボンが下げられた時、なすすべのなさを理解するよりも早くひじりはなげきました。自身の声を久々に聞いたみたいな気がしました。なげきによってザインはもっと余裕がなくなったみたいな顔をしました。しまったとわかりました。ザインの目は、ゲロに突っ伏していても、死にたいと言っていても、どこか、必ずどこか無邪気な光を湛えていました。今ザインの目は、全然無邪気じゃありません。邪悪ですらありました。ザインはきっとひじりを侵食してしまうために一番手っ取り早い形をとろうとしているだけです。
171022