4/5 水曜日 7:00
少しずつでも学生らしい生活リズムに戻すため、昨日より早起きを心がけました。学校が始まれば6:30には起きなければならないのです。今日は7:00に起きましたので、ぼちぼちな結果でしょう。ほうじ茶をマグカップで雑に作りながら、今日の予定をなんとなく想像します。今日は、クリーニング屋に預けていた制服一式を引き取りに行くべきでしょう。
公園絵
暇に過ごした春休みももう終わりですが、まだ寒さの残る日が続いています。今日は最近おろしたばかりのマフラーと薄手のコートを選びました。通学にするにも散歩をするにもこの三堂運動公園を通ります。犬の喜んで走り回りそうな広々とした芝生の広場をレンガ道がぐるっと囲うような作りをしていて、あちこちに遊具やベンチが設置されています。ジョギングをする人、犬の散歩をする人なども見受けられますが、平日の午前中だからでしょうか、比較的利用者はまばらです。
「あれ?」
まだ葉のつかない木々のすかすかした林のような一画で、小さい子がうずくまっているのを見つけました。
周りに友達らしい子どもがいるでもありませんし、親らしい人も見受けられません。
だるまさんがころんだをしている様子でもありません。
泣いてしゃくりあげているでもありません。
動かない、うずくまった子どもでした。
あらためて辺りを見回しますが、彼を気にかける人はいません。
様子がおかしく見えたので、声をかけてみることにしました。
「きみ、大丈夫?」「泣いてるの?」
近付いて見ると、几帳面に刈り上がった小さな後頭部が見えます。良いところのお坊ちゃん、と言った印象です。
彼はゆっくり顔を上げました。振り向いてこちらを見るわけではありません。前方を見ています。
泣いていたのかもしれません。どこか痛いのかもしれませんし、親御さんとはぐれたのかもしれません。
小さな彼は、前方に向けた顔をゆっくりこちらに向けました。予想していなかった動きをします。なんだか、迂闊には動けない心地がします。
目が異様にぱっちりと開いていて、表情のない子どもでした。
「大丈夫?どこかいたい?」
私の問いから少しの間を置いて、彼にようやく表情が表れました。
震える眉をほんの少しくにゃっとさせ、鼻をちょっと動かして、目をゆっくり、深く閉じ、両目から一粒ずつ、涙を流しました。
「にんぎょう……とられたの」
「おにんぎょう?お友達に?」
「うん……」
私は、彼に話しかけたその時から彼一点に集中していて、あまり周りに意識が向いていたとは言えません。
公園のはずれの寂しい一画、この子と私はふたりぼっちな気がしていましたが、ふと後ろに気配を感じました。
グルグル、犬の喉鳴らしのような音が聞こえました。
私がまぬけな動きでびくりとした時には、後退りの意味がないほどの距離にそれらはいました。大きなドーベルマンが2匹、私を見ているのです。
「わっっ!!」
「グゥーーー」
とっさに子供を覆うようにかばって、犬に背中を向けました。すぐに、その2匹ともが首輪をしていることと、おもちゃを咥えていることに気が付きます。大変大きなドーベルマンで、威圧感は凄まじいのですが、こちらを襲う様子はありません。
なるべく焦らないように、深い息をしながら2匹の様子をうかがうに、警戒されているというよりは、楽しそうな顔をして、遊んでほしいように見えます。内1匹の咥えているおもちゃは人形です。
「ねえ、おにんぎょうってもしかしてこれ?」
座り込んだままの彼は、可哀想に、鼻をぐすぐすと鳴らしながらうなずきました。
「なるほど……」
人形を咥えている方のドーベルマンは首をゆるくふりふりするなどして、人形で遊び続けています。お人形を一旦落として、咥えなおしたかと思うと軽いかけっこのようにあたりをうろついて、また戻ってきて伏せの姿勢になりました。ずっと意識は人形へ向かっているようです。立派で健康そうな牙が見えています。鼻先に手を突っ込む勇気は出ません。見れば見るほど2匹とも、清潔で立派な犬です。近くに飼い主がいるはずなのですが、見当たりません。
「シシーとね、ベルーガっていうの」
「え?」
「そっちがシシーで」
彼は人形を咥えた方のドーベルマンを指さしました。
「こっちがベルーガ」
比較的おとなしくじっとしている方を指さしました。
「君のとこのわんちゃん?」
「うん」
そういうことかと合点がいきましたが、なおも親御さんは近くに見当たりません。
「君のお名前聞いていい?」男の子は小さく頷く。「いらは」「いらはくん?」もう一度うなづく。「お家の人と一緒に来た?」「セイイチロウと来たよ」「セイイチロウさんってお兄さん?」「ちがうよ。シシーもベルーガも、セイイチロウの言うことはきくの」公園を見渡すのですがここからだと人影は遠く、まばらで、「セイイチロウ」さんが近くにいる様子はありません。シシーを見据えました。シシーは人形を見ています。覚悟を決める時かもしれません。私はいらはくんに背を向けて、シシーと向かい合い、シシーと目を合わせようとシシーを集中して見ました。「シシーちゃん!」「グゥー」「シシー、おすわり」「ぐ、」シシーは私の目を見ません。伏せたり起きたりしながら、人形をあむあむし続けます。「シシー、シシー、おすわり!」シシーは人形に夢中なままです。人形を奪おうとすれば私の手をあむあむしかねないように見えます。あむあむとはいえ数針は縫うことになりそうです。「シシー!!おすわり!!」「グフン」どうしたものか……とシシーを見ながら考えます。「シシー。お座り」「!?」いらはくんの声でした。凛として聞こえました。シシーちゃんは遊びをびくっとやめて、その口から涎まみれの人形を、あっけにとられたみたいに解放します。そのまま大きな体を起こして、おすわりの姿勢に整いました。まだ少し前足の様子に落ち着きがありませんが、命令に体を従わせる努力をシシーなりにしているようです。いらはくんの指示は、うずくまっていた先程の弱々しい印象とはかけ離れた立派な印象です。シシーもそうですが、シシーを退屈そうに見つめたり伏せたりしていたベルーガの方も彼の目を見ています。2匹とも、彼が目を離しても、彼の様子に注意を向けています。私は感心して、ほぉ、と声をあげそうなほどでした。いらはくんは犬を見ていて、解放された人形には目も暮れません。私はそれを手に取りました。ふわふわした質感で、見たことのない黒いキャラクターのぬいぐるみです。いらはくんに渡すと、彼は無言で受け取りました。興味がないみたいにそっけなく。いらはくんは、お座りをした背丈すらいらはくんの身長に迫ろうという大型犬を小さな白い手で撫でています。「大丈夫?怖かったんじゃないの?」「……どうも」「えっ、ううん。私は何もできなかったし」呆気に取られている間にいらはくんは小さい会釈をして、ドーベルマン2匹と一緒に公園の芝生の広場へ走っていってしまいました。心配は残っていますが、親御さんともあの調子なら合流できると踏んで、これ以上は追いかけないことにしました。そういえばクリーニング店に行くんだったと思い出して、私も私の目的地に向かうことにしました。
17:00 自宅
無事制服一式を綺麗に揃えて、クローゼットも新学期仕様です。ついでに学生鞄の中身を全部出して掃除をし、補充したい文房具に当たりをつけました。明日はショッピングモールにでも行って、文具を買い揃えると新学期も好調でしょう。
車が後でみえる