いつのことだったでしょう。シャールは突然消えました。プリンシパルが消えたのですよ。その前の日、シャールの友人のウスルは、家に遊びに来たシャールに会いました。また別の友人のレクトは住処の部屋から出て行くシャールを見ました。シャールは言伝もなくただ消えました。
レクトは無力でしたが、友人を案じました。グレブは何か知っているようでしたが、レクトには何にもできません。ブロキマナクのどこかにはいるのでしょう。だってグレブは知っているはずですから。シャールがいなくなれば、レクトはいずれ動かなくなります。レクトの燃料はシャールからしか摂れません。適切な体液をやる者がシャールひとりしかいないのですから。それをお上はわかっている。ならレクトが今後稼働しなくなる算段すらつけてお上は回っているのだ。それをレクトはウスルに言いました。ウスルはふたりの友人がいなくなる今後を想像して、営みなんて辞めてじっと隠居していようと近辺整理を始めたくらいでした。レクトは近々のいつか動けなくなるとはいえ、それはソリストの体が生まれて朽ちるほどには遠い遠い向こうのお話なので、歯痒いまま、すべきとされたことをしました。ウスルも同じようにするのでした。
やがてシャールは帰ってきました。それは海から月の光が力強く浮かんでいて、夜なのにおぞましく明るい青い火事場のような日のことでした。ウスルは取り残されたシャールの傘持ち達がバタバタ歩き出す音で、彼らの主が帰ってきたことをあらかじめ察知しました。ウスルは廊下を走ります。寝ている、電源の落ちているレクトの部屋にそっと入って、彼を確認して、迷ってから、お湯を沸かしました。お茶の準備をしました。お風呂の準備もはじめました。その頃にシャールがウスル宅のチャイムを鳴らしたようでした。ウスルはまた走りました。その頃には息が切れていました。ドアを開けたウスルの驚いたこと。ぼぉと明るい夜を背負って、鋭く切れすぎた暗い目つきでシャールは、ただいまと言いました。くすんだ深緑色した汚れに塗れていました。体液の匂いがしました。ウスルは何も尋ねませんでした。尋ねることができませんでした。ただお茶と風呂の用意があると伝えました。驚きを隠してなるべく歓迎を示しました。シャールにはそれが奇跡みたいに思えたのでしょう。破断したみたいにクシャッと笑いました。そして何もかもが馬鹿馬鹿しくなったみたいに、急激に表情をやめました。すぐに、うっと言いました。俯くままになってしまいました。シャールは上がれと言わないとウスルの家に上がりませんでした。ウスルはそれが悲しくて、急かすように招き入れました。「レクトくんいますか」シャールの問いにウスルは、ここにいるよと返しました。「見たい」とシャールは言いました。本当はシャールを風呂に入れたかったのですが、要望を優先してみることにしました。レクトは睡眠時間は増えたものの、一部の他種と同じスパンで寝るようになっただけに過ぎません。まだソリストが生まれて死ぬくらいの期間は稼働し続けられる見積もりです。ベッドに眠るレクトに近付いて、膝をついて、シャールは彼を近くで見下ろしました。「僕がいなくても生きてる」シャールが小さく言いました。ウスルは「死にかけてる」と言いました。「僕より?」シャールはぎらつく目でウスルを見上げました。ウスルは頷きも首を振りもしません。シャールは急に俯いて、震えました。くっくっくと言いました。涙を流していました。それは笑っているようにも見えました。「僕、別に辛いところにいたわけじゃないんですよ」「こども様に飼われてた」寝ていたはずのレクトは、飛び起きました。シャールは驚かず、ウスルはうわっと言いました。「先輩」レクトはすぐにベッドから体ごと床に降りました。シャールの横につきました。落ちそうなくらい勢いがついた姿勢でした。誰もいないベッドの側に、シャールもレクトも膝を床につけて座っている後ろ姿をウスルは見つめました。「先輩、したいことは?」問われたシャールは俯きました。キョロキョロとしました。うう、と言って顔を覆う仕草が完了するまでに、レクトはシャールを支えるみたいに背中に手を添えて、顔をのぞきました。「先輩。よしよし。先輩。大丈夫、おかえりなさい。僕は大丈夫でした。何も心配いりませんからね」ウスルはそんなレクトの声色を、話し方を、初めて聞きました。
211115